参照元です。コメントありがとう。うーん。夢や出会い系は本旨とはちょっとずれているかも。書きたかったのは、「ハイスペックだなー」と感じたことが、少し考えると消極的この上ない内容だったことに自分でびっくりしたって話だったりする。つきあってると別段感じることはないのだけど、改めて考えると、やっぱり「すげー」と思っちゃう。カラオケ未体験とかね。友達が少なかったとか、親が厳しかったとか理由はあるらしいし、あるいはそれが釣りであるとしても、そういう話を聞いて、共振してしまう部分がある。
こんな出来すぎたプロフにころっとだまされる奴まだいたんだwwwwww
ポップミュージックの対象年齢(要は一番金になる層)が下がって、そいつらに合わせた商品にしなくちゃいけなくなった。
っていうのをどっかで見てなるほどと思ったことはある。まぁそれに気付かず、テレビから流れてくるものを思考停止して享受してる大人も結構いそうだけど。
ん?何が言いたいんだ?
・全ての評価は「何を残したか」ではなく「誰が残したか」で決まる。
・努力の過程が褒められるのは小学生だけ。社会に出たら結果の残らない努力は全て無意味である。
・余裕のあるうちは満足しない。
なんだろうなあ。あえて言えば、満足することかな。
ただ楽しいだけじゃ満足しない。やっぱり生まれてきたからには何か残さないとね。
でもたぶん一生満足しないと思う。
みんなそういう考えで危機感ないから馬鹿ばかりになっちゃうんだよなあと思ってるだけだよ。
自分の場合、せつな的な楽しさよりも、ああこうして俺は馬鹿になっていくんだな、という怖さの方が強い。
非モテであると自称してネット上で負の感情を垂れ流している人たち(以下、かっこつきの「非モテ」)は理論武装している。
「非モテ」にとってその理論は今までに何度も何度も何度も語られたものであるが、「非モテ」以外が同意することは少ない。
なので、「非モテ」たちは彼らの理論について語ることが少なくなった。
能天気な人が気軽な気持ちで非モテに言及すると、短い言葉でこっぴどく毒づかれる。これは「迷惑だ、ほっといてくれ」のサインのようだ。
でも、「非モテ」の理論が語られなくなって、まったく検証されなくなって、その理論体系の何が一貫していて何が矛盾しているのか、どういうときに有効でどういうときには無効なのか、そういうのが「非モテ」以外には分からなくなってるのは、損だと思うな。
誰かさあ、「非モテ・アライアンス」みたいなゆるい同盟組んでさあ、「10か条の非モテ宣言」なり「非モテのガイドライン」なり「非モテFAQ」なり作れば?
ロンドンやパリで聖火リレーが妨害されたことは中国でも報じられた模様。
このことはどういう結果をもたらすだろうか。
この聖火リレー妨害は、中国(=中国政府)が抑圧する人権問題やチベット問題に対する抗議として行われたはずだが、こうした抗議活動が中国人民の心に響くかといえば、そうではなく、むしろより怒りを買うのではないかという気がする。
こうした心の動きはおかしなことではない。
アメリカは圧政国家に経済制裁をかけたりするが、制裁をかけられて困窮するのは現地の住民である。この困窮に対する怒りは往々にして圧政を敷く自国の政府に対してではなく、アメリカそのものに向かう。
これと同様に、欧米から中国への抗議を目の当たりにして、中国人民は自国政府のやり方が悪かったのかも、と考えるよりも、欧米から発せられた抗議の声に対して敵対心を露にするのではなかろうか。
こうした中国人の怒りが世論となれば、一党独裁国家とはいえ世論を無視することもできなくなった中国政府は欧米の価値観に対し、これまで以上に距離をとることになるだろう。
また、中国人民はこの抗議の発生した根本的な原因を「一部のチベット独立分子」のせいだとするかもしれない。そうなれば、この抗議をやめさせるために、人権尊重よりも自国の強大な政府がよりチベットに対して抑圧的な政策をとることを支持するかもしれない。
これらは推測に過ぎないが、ありえないシナリオでは全くないだろう。
聖火リレーの妨害はチベット問題の改善という目的を達成するための手段であるはずだが、現段階を見ていると、手段が目的化していく様相を呈してきているようである。
もちろん、抗議の意志を表明することは大事だ。しかし、それが相手に受け入れられなかったら、と考えると戦慄する。
それを言うなら、「俺って、女のちょっとした行動に対して過剰に期待しすぎる生き物なんだなあ」ではないかな。
相手ではなく、自分の方を見つめよう。