あるときから時々土日に寂しいとかいう電話がかかってくるようになった。
と聞いたところ
「金曜日に誘いがあったが忙しいって言って断った。ルールズには水曜日で締め切れって書いてあったから。」
という。自分から断った手前寂しいとか言って甘えることもできないという。
2.その行動を生み出している「想い」を明確にする。
3.その「想い」によって生まれる「将来の行動」を予測する。
4.もっと良い結果を生み出す「新しい想い」を打ち出す。
5.その「新しい想い」によって生まれる「将来の望ましい行動」を予測する。
の5ステップである。つまり、啓発によって改善すべきは、「行動」ではなく「想い」。
しかし彼女は、ルールズを読んで、「想い」はそのままに「行動」だけを改善した。それが一番の問題なんだと思う。
ルールズのような、「成功するための行動パターン」系の本を参考にするのであれば、上記ステップを参考に、以下のようなステップを踏まないといけない。
2.その行動を生み出している「想い」を明確にする。(どういう考え方であれば、その行動パターンが自然に起きるかを考える
3.現在の自分の「想い」との相違を分析する。(何故自分は、2の考え方が出来ないのだろう
4.現在の「想い」と、ルールズの「想い」、どちらが「将来望ましい行動」を生み出すかを比較する
5.望ましい「想い」を採用し、考え方を改める
「行動」自体を改めようとすると、ある一定の範囲の問題の解決にしか役に立たず、本質的な解決にはならない。
ルールズを参考にした彼女は、ステップ1から一気にステップ6に飛んでしまったために、失敗したのだろう。
いくらセミナーに参加しても生産性の上がらないサラリーマン同様に、自己啓発と自己改善にはそれなりのステップがある事を忘れてはならないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070318000407
千数百円のチョコに対して、五千円弱くらいのお返しをもらってしまった。
一晩置いて冷静になって考えてみたら、三倍返しをさせてしまっただけではないかと青くなった。なに浮かれてるんだ、自分のばかばか。出過ぎた真似をしなければよかった。
お返事ありがと>http://anond.hatelabo.jp/20070318000407。リンツとラウシュはチェックしてなんか機会があったら渡せるように常備しとくことにします。
モルトトーク楽しそう>http://anond.hatelabo.jp/20070318025117までの枝。いいな。モルト飲み同士でシングルモルトに注力したバーに行ったりしてみたい。同趣味者が滅多にいないので実現しない夢だけど。
ユフィは頭弱いだけで一応考えてること(昔のようにみんなで仲良く)がわかるからまだ見れるけど、まなびは何かよくわからない。薄っぺらいというか空虚というか。後、学生のときに「みんな頑張ろうよ!一緒に思い出作ろうよ!」と扇動してたクラスの女子っぽくて苦手。みんなで頑張るべき、思い出を作るべき、ということを考えもせずに、無条件に正しいと信じて疑わないところが(あ、もしかして二人の共通点は正しいと信じて疑わないところかな)。
ルールズを実践していた年下の女の子が知り合いにいた。当時そいつは24歳だった。そいつには4年ほどつきあっている彼氏が居るという話で、将来結婚するにあたってうまくいくようにルールズにしたがって行動しているという話だった。
あるときから時々土日に寂しいとかいう電話がかかってくるようになった。
と聞いたところ
「金曜日に誘いがあったが忙しいって言って断った。ルールズには水曜日で締め切れって書いてあったから。」
という。自分から断った手前寂しいとか言って甘えることもできないという。
そうこうするうちに俺とセックスしたいとか言いだした。彼氏としろよと言ったら
「安い女に見られたくないから時々しか許さないようにしてる。
でも実際やるときになったら彼氏が緊張しすぎてうまくできない。で欲求不満。」
という。そりゃそうだ。それはともかくお前は俺に相当安い女に見られてるぞ。
こういうのはしかし、彼氏にとってみれば、土日が忙しいなんて言われたらほかの男とデートがあるんじゃないかと不安になるだろうし、セックスもうまくいかないんじゃ相当自信なくすだろう。そんなんでうまく行くわけがなく結局その後1年くらいして破局になってしまったらしい。
「しゃべりすぎたりしない」「デートを自分からおひらきにしてしまう」あたりが彼氏にとっては「自分といても楽しくなさそうだ」という確信に繋がったようだった。
なんだかんだ言ってその子がバカだっただけだということかもしれないが、ルールズっていう本さえ読んでいなければ、そいつらはもうちょっとましな5年間を送れたはずだ。
こういった思考が流動的でいまひとつ活力に欠ける層には、多少変人で中身空っぽでもパワー全開で見てきたような理想を語る人間というのは相当魅力的に映るのではなかろうかと。
これを読んで気付いたんだが、まなびの行動に私が感じる不快感は『コードギアス』を観ているときにユーフェミアの行動に感じるそれなんだな。そして私が今の二大作品(ネットでの話題性のみをみれば、こう言って過言ではないと思う)では『コードギアス』の方を圧倒的に楽しめているのも、そういうことなのだろう。ロリ属性より巨乳属性が強いとかそういう理由でなしに。いやまじでまじで。違うからまじで。「乳首券キター」とか言ってないから。
斎藤さんで検索して齋藤さんも出てきてほしい 渡辺さんで検索して渡邊さんも出てきてほしい 同じものを指す漢字に違うコードあてないでほしい 中華 (大陸) の「机」という字と 日本・台湾・朝鮮の「機」という字は同じことを指している だから同じでいいんだよ でも「芸」と「藝」は別の字 「芸」は「ウン」 「藝」は「ゲイ」 近頃「ゲイ」の無い「ゲイニン」が多いと思ったら 「芸人」だったよ
ナナオのカラーユニバーサルデザイン対応ワイドモニターが欲しい!けど置く場所無い!
この手のポルノ禁止論ってロクなことにならないかと。
なにより、性行動を優先しすぎるあまり、ほかの文化活動に影響が出てくると思いますが。
盛りの付いたオスのような性衝動を抑えられず、
ヤル為であれば女をいくらでも口説くような男が今以上に量産されるだけでしょう。
あとは強姦ですね。これは名目上ポルノ禁止されてる隣国のデータを見ても解りますが、かなり増えるかと。
現状のようにある程度別の捌け口(ガス抜きとも言うが)を用意しておくのが社会システム上有効と思います。
その上でポルノに溺れる者はその程度と言うことでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20070318091324
http://anond.hatelabo.jp/20070318111530
ブラウザの検索で全強調してみたけど、そういうのではないみたいですよ。
なら自分で書いてみろと言われるだろうけど、笑ったら負け選手権が全く笑えない。
真面目にやってるっぽいので参戦。
補足⇔捕捉
自身⇔自信⇔地震
意外⇔以外
不偏⇔普遍
自戒を込めつつ。
自分ローカルでは 露点⇔露天 なんていうのもあるがあんまり普通に使う単語ではないからね
おまけ。
手書き全盛時代には「確率」を「確卒」と書く人が多かったことを付記しておこう。
人を馬鹿にするのは悪いことだろっ!?
♂だが、世界的ベストセラーの恋愛マニュアル「ルールズ」を読んでみた。
この本に載っている35のルールは以下のようなもの。
RULE#2 最初にこちらから話しかけてはいけない
RULE#3 男性をジロジロ見たり、しゃべり過ぎたりしないこと
RULE#5 こちらから電話をかけないこと
RULE#6 電話の会話はこちらから終えること
RULE#7 土曜日の夜のデートの申し込みは水曜日で締め切る
RULE#11 デートはこちらからおひらきにすること
RULE#19 あまり急いで打ち解けないこと
RULE#20 誠実に、でもミステリアスに
そしてこれらの共通点は、「程よく無関心であれ」という事なんだなぁと思った。
でも、ここに大きな矛盾があるように思える。
例えばここに、良い結婚を実現させるルールとして、「結婚を意識しないこと」というものがあったとする。
しかし、それを守るということは、「「結婚を意識しない事」を意識すること」に他ならない。
「結婚を意識している人間」も、「結婚を意識しない事を意識してる人間」も、どちらも同じことだ。結局、結婚という2文字を意識し、踊らされているのである。
「彼氏は重要!彼が居ないと生きていけない!」という人も、「彼氏なんて居なくても生きていけるわ」という人も、どちらも「彼氏」という概念に対して極めて意識的であり、これは、非モテ議論でよく言われる「お前らこそが、恋愛至上主義なんじゃねぇのか?」と同じような事だ。
結婚を例にして意識の仕方をまとめると、
1.「結婚を意識する」→意識しすぎて引かれる
2.「結婚を意識しないを意識する」→卑屈っぽくなったり、逆に機会を避けるようになる
3.「結婚を本当に意識しない」→時間だけが過ぎていく
これは結婚だけでなく、「彼女を作る」とか「友達を作る」とか「人脈を作る」という文脈にも適応可能である。
この考え方の流れに対して、「じゃあどうすればいいんだよ?」という疑問を持った人は、その考え方自体が正しくない事に気づくべきだと思う。
「結婚する」とか「恋愛する」とか「友達を作る」とか「人脈を作る」みたいなコミュニケーションの場で起こる出来事において、「こうすれば成功する」などというマニュアルがある訳なく、結局のところ、縁の問題なんだから。
でもネットを生息地にしてなくてもそういう傾向があるなら、わざわざ「ネットを生息地にする人」という属性に言及する必要ないのでは?
「若者は規範意識が低い傾向がある」「朝鮮人は頭が悪い傾向がある」というのに「日本人・中年だってそうだろ」と指摘するのは無意味だろうか?朝鮮人若者でなくても多いならわざわざ朝鮮人・若者に限定するのは悪意が有ると見られても仕方がない。
ネット中毒でネットを生息地にしない人とかかわりあうことがないからわからない、だから言及しなかったってことかも知れんけど。
それにネットといってもいろいろあるわけで自分が見てるところだけでネットを生息地にしてる人はこういう傾向があると決め付けるのも経験不足の賜物だよね。
責められることではないけど誉められたもんでもないし馬鹿にして悪いもんでもないw