何かを書こうとするから書けないんだ。
文章が書きあがるときってのは往々にしてそれを書かなきゃいけないっていう使命感があるときだけである。
だから、こうして無意味な文章をここに書いているのはきっと何かしら使命感があるってことなんだろう。
前から気付いてましたけど Firefox2 おちまくるんですけど。
デフォだとあまり落ちないからなんらかの拡張に引きずられてるんだろうけど、
それって Windows の「アプリに引きずられて落ちるなんて糞」に通じるものがあるんですけど。
#Google Toolbar はいれてないです。後はチラネ。
障碍者が触法行為をした場合の処遇は立法政策の問題であって客観的科学的事実じゃないんだから
帰無仮説はおかしいでしょ。
単なる反語じゃない?
http://eva.yahoo.co.jp/gekijou/big_message.html
この文章の一番のツッコミ所は
の部分だべ。言ってる事については「あー、そんな感じはするよなぁ」と思うけど、なら何故TVアニメじゃなくて劇場版(しかも3部作だか4部作だかになるんだっけ?)でやるんだっつー話で。エヴァ自体は、リアルタイム放映当時14歳だった中学生にとって(つってもちゃんとエヴァを見たのは1年後の再放送でだけど)インパクトも影響力も目新しさもあったアニメだったし、まぁ頑張ってほしいなとは思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070218095521
似たようなことはこれまで何度も何度も何度もいわれてきたような気がするんだが、いまだに漫画やアニメはなくなってないんだよなぁ。
つーか、CG技術の発展でSFやロボットを題材にしたアニメや漫画(の意味)が無くなるのなら、CG技術の発展が比較的あまり必要で無い、例えば学園モノとかそういったアニメや漫画なんてとっくの昔になくなってるよなぁと。
阪神大震災があってオウムがテロ起こしたっていう時代にうまく乗っかれたからでしょ。
逆に今の時代に対する意識ってあの当時とどれだけ変わったのかな。
なんというか「終わった感」がずっと続いてて、
それらはただ「終わった感」を強化する方向にしか向かってないというか、なんというか。
議員先生のブログを読んでいるとたまにとんでもないのがある。主張以前に頭が悪い・バカで教養が無い。こんな頭の悪い文章載せるくらいならちょっと文章の書ける子供をゴーストライターとして雇ったほうがマシだろう、と他人事ながら心配になってしまう。
ブログだからコメント欄やTBの機能がある。バカなので当然ツッコミが入る。それに対する受け答えも酷い。ツッコミに対して話を逸らそうと的外れな質問で返してみたり、自分の都合の悪い部分には徹頭徹尾口を閉ざしたり、まあネットでたまにみかける典型的な「頭が病気」の人だ。
対立する人たちに馬鹿さ加減を暴露される、というのではなく、自分から進んでブログを通じて馬鹿さ加減を宣伝しているのだ。全く恐れ入る、というか理解できない。
ちなみにこういう議員先生、「党の捨て駒」臭がプンプンしててなんか気の毒になってくる。どうしてこの人は自ら進んで嬉々として党の捨て駒になっているのだろう。というかそういう自覚はないんだろうか?
しかし、こういった考え方は間違っているのだ。それはこの議員先生が議席が減らされた選挙でも勝ち残っているからだ。
つまり、こういう人には立派な存在価値があるのだ。世の中は馬鹿な人間のほうが多いからかもしれないし、バカにはバカなりの利用価値があって、この議員は利用しやすい捨て駒としての評価が高いからなのかもしれない。
あるいはこの議員は自分の支持層として数の多いバカな層をターゲットにしていて、わかっていてそういうキャラを演じているのかもしれない。
このような問いを(たとえば子どもに)投げかけられたときに、「こいつは勉強なんてしなくていいと思っているな!」と早合点してしまってはつっこみ力不足である。
誰にその問いを投げかけられたのかという問題もあるが、このような問いには以下を実践することで対処できるだろう。
「何故勉強しなければならないのか?」という問の答えは、なぜ「何故勉強しなければいけないのか」という発想を持つに至ったかという過程を言語化することである。
もし、子どもが「それはね、どうして勉強しなければいけないのか、と思ったから」という答えをしたとしよう。
そんなときは、「それじゃあ、おなじ言葉の繰り返しだよ、もっとじっくりと考えていこうか」と言ってやればよい。
大切なのは、問いに対する背景をこちらが考えかわりに教えてやることではなく、相手がイメージとしてはもっているが言葉にまだできていないことを言葉にする手伝いをしてやることである。
その時間旨いもの食べに行くとか
食事を食べるほうが楽しい人ばかりでもないし、そういうカネとか相手とか店とかが簡単に手に入る人ばかりじゃないんだよ。
趣味に金をかけれないワーキングプアや友人恋人のいない人や近くに娯楽施設も飲食店もろくにない田舎に住んでる人もいるんだよ。
いやウルトラマンにしろ仮面ライダーにしろ、感心するくらいしっかり進歩してると思うけど。
ガキのころの感動を反映させてる制作サイドが透けてみえるよくらいに。
で、エヴァの評価だけど
このエントリ
http://anond.hatelabo.jp/20070218091239
エヴァンゲリオンは新しかったのか?
に応えたまでですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070218101304
自分が成長しただけかな、ま、成長とまでいわなくても、消化しきっただけ、枯れただけ、とか思ったりもするわけだ。
たとえ俺の中で陳腐化したとしてもだ、ウルトラマンティガを見て素直に感動したはずの元小学生が、ウルトラマンメビウスを見てマンネリだ進歩がない技術がどうこう…言うのはおかしいよな、と。現役小学生は、あの頃の俺と同じ感動を覚えているのかもしれない。
ともかくだ
韓流ブームと比較したがる意図がいまいち掴めないんだけど、「評価」ってざっくりいわれてしまうと、もっとわからない。
評価なんてものは誰がどの視点からするかによって全く異なるものじゃないかな。
にゃあ。
もちろんアニメからロボットやSFが全く無くなるわけでは無いのですよ。
本流としては終わったかなという感じ。
そういう意味で言うなら韓流ブームも歴史的事実だったのだろうけど、評価はどんなもんでしょうか。
やはり、おたくを顕在化させた、というほどの意味にしかならないのでは。
もちろんそれはそれで大きな意味だと思うのだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070218093253
似たようなことはこれまで何度も何度も何度もいわれてきたような気がするんだが、いまだに漫画やアニメはなくなってないんだよなぁ。
ついでにエヴァについていうと、エヴァが一時期話題をさらったことも、いろんな意味で新しかったことも、その後に大したアニメが登場していないことも、歴史的事実として否定する気はないんだけどね。
逆に話題になりすぎたせいで、庵野の個人的トラウマンガだったことがばれちゃった。
てなかんじ?
おばさまたちが群がる韓流ブームにおけるペ・ヨンジュン的なイメージ。
マジレスすると、
そういう意味では今回のこの企画も、ほぼ無意味と言っていいと思う。
喜ぶのはおたくの皆さんだけ。
テレビ版は広げまくった風呂敷を畳めなかった(=話が収束しなかった)という意味で「新しかった」のは間違いないよ(笑)
張りまくった伏線は全部「思わせぶり」だったわけで、ぶっちゃけ全部物語の体をなしてなかっただけなんだけどね。それをアホ評論家どもが過大に評価して作者も調子に乗ったんだろ。恥ずかしくて真似できんだけなことに気づかんのかね?そう言えば最近、某漫画家が真似した気が(謎)