実際人と違うことを言うのは(するのは)難しい。だいたい地球上の誰かしら同じことを既に言っている。
本当に違うことを言えたならその時点で立派に何者かにはなれたことになるだろう。
「世の中には二通りの人間がいる」式にいえば、世の中には人と同じことしかできなかった言えなかった人と違うことができた言えた人しかいないのだ。
だから「人と違うことを言う人」が何者でもないとするなら、もはや何者かになれた人などどこにもいないとみなしてることになってしまうのだ。同じことをする人は当然何者でもないというのだろうから。
何者とはえてして肩書、大企業の社長とか売れっ子の漫画家みたいなのを指してる感じだが「増田に人と違うことという人」はそれらと違って区別されるべきものなのだろうか?それはどういう相違点で?その区別は結局恣意的なのではなくて?
今はただ既存の主張に対する主語のマイナーチェンジとかだったりただの逆張りしかできないんだとしても、試行錯誤して練り上げていければそれでいいじゃないか。
テレビでとりあげられるツイッターの意見とかいかにも重複が多そうな内容じゃん?ああいうの書くだけして寿命迎えるような奴にだけはなりたくないね。無個性の権化みたいなもん。