家に小さい庭があり、子どもとよく遊ぶ。
少し前の話だが、子どもがじょうろに水を入れ、庭の端でチロチロと流していた。
何に水をあげているの、と近づくと、蟻の巣に水を流し込んでいる。「蟻が流れてる!」と笑顔だ。
むっ、と思い、何が楽しいか聞くと「蟻が流れているのが楽しい」「プールを作っている」「雨を降らせている」という。
ここでわたしの頭は鈍る。止めさせるのは簡単だ。蟻さんがかわいそう。せっかく作ったお家に住めなくなってしまうんだよ。蟻さんだって人間と同じ生き物なんだよ。むやみに苦しめたり、殺してはいけない。また、もっと単純に怒るという手段もある。蟻で遊ぶと親が怒る、そう学習すれば同じ行動は取りづらくなるだろう。
ただ気になるのは、子どもの行動の根っこの部分。蟻を生き物と認識し、反応があると認識し、そのうえで困ることを楽しんではいないか。長い時間かけて作られた巣が、自分の気まぐれな行動により一瞬で破壊される、その無慈悲さに快感を覚えてはいないか。サディスティックな性質の芽生えが既にあるのではないか。そして、単純に「蟻に手を出すと親が怒る」という理由で行動を止めても、その根っこの部分は覆い隠されるだけで育っていってはしまわないか。