いつもこの時期になると思い出すことをまた思い出した。
何かの縁がある人が被災地に対して思いを寄せてくれることはありがたい。
凄惨な経験をした人が経験を語り継いでくれることも大切にしたい。
ただ、その間にいる「微妙な被災者」は何かを語ることがはばかられるなと思っている(まあ自分だけど)。
知人は誰も死んでいない。生活に困窮することもなかった。
でも、それなりに被災生活は送ったし、なにより今まで体験したことのない物理的な衝撃と、思い出のある町が一瞬に失われた、そんな体験をした人もたくさんいる。
長田のど真ん中で火に巻き込まれた人や、灘の住宅地で押しつぶされた人の経験の前では、郊外のニュータウンで数ヶ月不便な生活をして、思い出の場所を失ったくらいの人間は口をつぐまざるを得ない。
https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/202001/0013049235.shtml
https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/202001/0013054360.shtml
でもたぶん、個人の心のおりは一生消えないんだろうなあ。
神戸で生まれて高校まで神戸で暮らした。 大学で初めて出来た彼も神戸の人で、二人とも神戸の街が好きだった。 正月は一緒に帰省してお互いの家に挨拶にいったり、お互いのお気に入...
いつもこの時期になると思い出すことをまた思い出した。 何かの縁がある人が被災地に対して思いを寄せてくれることはありがたい。 凄惨な経験をした人が経験を語り継いでくれること...
んなもん、キリないやん? なんでそう、病的にまで、悪者になるのを避けようとするん? PTSDよりも先に、ソッチの素質のほうを自覚するべきなんちゃうん
増田BL
自分も神戸から引っ越した3年後に震災があって、連絡を取ろうと思ったけど取れなくて
ワイと同年代なんかな 当日の三宮がを今も夢に見る
東日本大震災やコロナ、その他の大事件大事故もこのように様々な人の人生に暗い影を落とし、尾を引き続けるんだろうね。 こんなに苦心して人が生き続ける意味とは何なんだろう。