COVID-19の情報を得るために、何年振りかでSNSにアクセスした人間は、少なからず存在する。
の、だと思う。例えば、僕のような。
僕と同時期にSNS復帰した人も(僕が観測できる範囲限定においても)わりといて、彼や彼女の、久しぶりのSNSに戸惑いながらの書き込みは、僕に共感と、現在のSNSへの適応の手助けを齎してくれた。
ここ数カ月間ずっと、僕は彼らの書き込みを通じてCOVID-19の情報を得ていた。
僕と同時期のSNSに生きて、同時期に去って、同時期に復帰した彼らの書き込みは、翻訳だった。
彼らの発する情報は、不思議と、古いSNSの生き物である僕にも受け取りやすい形になっていた。
僕は貪るように彼らの発する情報を読んだ。
そして、COVID-19の騒動はひと段落する様相を見せ、彼や彼女は一人、また一人とSNSから再び去っていった。
僕の心にぽっかりと穴があいた。
気づいた。
僕が本当に欲しかったのは『COVID-19の情報』ではなく『古き世界の残照』だった。
僕は、『困難な時期を乗り切る情報』ではなく、『困難な時期を乗り切るための、過去の楽しかった記憶、それを想起させる媒介者』こそを求めていたのだ。
残照だといまいち合ってなくない。ずいぶん長くSNSやってなかったのに残照なんて残ってないでしょ。夕方でなく真夜中レベルでしょ 残滓のが合ってないすか