2019-07-11

ダイバーシティグローバル化ではない新しい概念必要

もてはやされた二つの言葉だけれど、時代が進むにつれて「元ある文化を外部から来た人が不快に思わないように削る」事をそう呼ぶようになってしまった。

日本空気を読む文化だとか、人に押し付けない態度が批判されて、欧米のように自己主張こそ正義みたいな価値観一方的押し付けられる。

キャラクター絵の肌の色、アニメ漫画にまで口を出されて何も書けなくなってしまう。

これまでのダイバーシティグローバル化は、外部からくる人の事を尊重寛容的になる、一方的ものだった。

厭、そもそも寛容性とは双方にあってはじめて成立するもので、片方だけの寛容はただの植民地、隷属化だろう。

ダイバーシティグローバル化の中、年功序列等が無くなるのは良い事。だがそれで日本的なものが失われていくのもおかしい。

互いに寛容性を持ち、文化を増やしていこうという心持ちの事を「フレンド化」と称して推進するのはどうか。

ものは居てものものは居ない。よい。

  • 分からんでもない。ただ、日本人は主張下手だとも思う。主張すること自体が悪だという風潮すらある。だから削らんでいい個性まで削れてしまう。

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