2017-06-27

贖罪としての自殺

存在価値が負である場合は、自殺による贖罪可能である贖罪というと宗教じみており過度に精神的のようであるが、言い換えれば社会貢献性があるということだ。

存在価値が負の私は、自殺することが許された人間宗教性を逸脱して考えると、許されたと言うよりもむしろ自殺しなければならない存在である

生きていれば社会への費用平準化されて大きくなるが、自殺をすれば一気に費用を吐き出すことができる。自殺方法を選べば、今後発生する費用ゼロだ。

生きてても死んでても収益はないので、引き算だけの簡単計算だ。

こんな簡単計算ができるうちに私は死ぬべきだ。

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