存在価値が負である場合は、自殺による贖罪が可能である。贖罪というと宗教じみており過度に精神的のようであるが、言い換えれば社会貢献性があるということだ。
存在価値が負の私は、自殺することが許された人間。宗教性を逸脱して考えると、許されたと言うよりもむしろ、自殺しなければならない存在である。
生きていれば社会への費用が平準化されて大きくなるが、自殺をすれば一気に費用を吐き出すことができる。自殺方法を選べば、今後発生する費用はゼロだ。
生きてても死んでても収益はないので、引き算だけの簡単な計算だ。
こんな簡単な計算ができるうちに私は死ぬべきだ。
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