☆「神または邪悪な霊による欺きの可能性」という根拠で明証性の規則に従って導出される事柄を疑えるのか?
→これに対してデカルトはまず神の存在を証明しなおかつその神が欺かないということも証明することで疑えないと答えようとする
①何ものも無から生じることは無くそれが存在するためには原因を持たねばならない
②その場合、原因はそれがもたらす結果の実在性よりも大きな実在性を持たねばならない
③なぜなら、仮に原因が結果よりも少ない実在性しか持たないとしたら
結果の実在性の1部が無から生じたことになるがこれは明らかに①に矛盾するから
④ところで我々のうちには神(無限で独立していて全知全能で万物を想像した完全なもの)の観念が生まれつき存在する
⑤当然、この神の観念も原因を待たねばならない
⑥なぜなら、仮に我々に神の観念の原因だとすると、実在性が低いもの(我々)が実在性が高いもの(神の観念)を作り出したことになるが、これは明らかに②に反しているから。
⑧したがって 我々の外に神が存在し、それが我々に神の観念を送り込んでいると考える他ないし、またその限りで神は存在すると言える
「私」の存在の原因は?
「両親またはそれ以外の神より不完全な存在」 「神」
「私自身」はどうか?
① 仮に「私自身」が「私」の存在の原因だとすると、その場合。「私自身」は無から「私」をつくり出したことになる
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ところで無から何かを作ると 私ということ以上に困難なことはないから、こうしたことが出来るなら あらゆる完全性を自らに与えることもできるはずだしその結果「私」は神そのものと化すことに
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ところが「私」は神ではない
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従って「私」を存在させるためには ある瞬間の「私」を次の瞬間の「私」へとつなげてゆく力がなければならない
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ところが「私自身」ににはそんな力がない
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従って「私自身」は「私」を存在させることはできないつまり「私自身」は「私」の存在の原因ではありえない
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「両親またはその他の神より不完全な存在はどうか?
仮に「両親、、、、」が「私」の存在の原因だとするとその場合、今度は「両親、、、」に関してその原因が問われることに
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その場合、私同様不完全な存在である「両親、、、」をそれ自らの原因だと考えることはできないから、さらに別のものに原因を求めることに
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しかしその場合も同じことの繰り返しとなり、その結果いつまでたっても最終的な原因にたどりつけず 不合理
神はどうか?
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従って「神」が「私」の存在の原因であり
その限りで神は存在すると言える