2016-02-19

老人の発言権の強さは、「死」を武器にできるからじゃないか

朝のニュース見てたら徳島の若手市議が「若者施策をやりたいけど、選挙で勝つことを考えると、どうしても年寄りの話を聞かないと勝てないんだよね」と魂の本音を言っていた。

老人は強い。なんでかって、彼らを蔑ろにすると、「今までお国のために尽くしてきたのに……」とくどくど言われ、最終的には「ほな、国はわしらに死ねというのか。」と言われてしまうからだ。そう言われると、どうしても怯んでしまう。

「いや、そういうことを言うつもりは……」

「一緒や。それがなくなったら生活できん。生活できんかったら死ぬ。」

これでは単に若者選挙に行ったところで、そう変わらない。

しかし、だ。

実に浅ましい。

二言目には「国に殺される」とか言って喚く老人たちよ。素晴らしく見苦しい。

たとえ、富と名声を手中に納めていてもだ。

私は断固として軽蔑する。

もう、文化としてはなくなっていると思うが、かつてイグルーに住んでいたイヌイットは、子どもが生まれると、年長者が静かにイグルーを去ったのだ。イグルーの定員が決まっていたかである

こういう人でありたい。

せめて1割でも今度の3万円給付寄付、後の世代に使うような篤志家が現れますように。

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