究極的に考えて、ヒトの個体そのものの存在意義というものは存在しないんだよ。
集団単位なら存在意義というものは存在するけれど、個体単位で存在意義というものは存在しない。
誰がどのピースを埋めるのか、という差異しか大多数の個々人の個体差には存在しないのだけれど、
自分が持っていると思っている意思は、集団の形質的継承によりもたらされたいわば集団意思であって、
意思形成は自分の自由意思によって行われているものではないはず。
神というものは存在しない。しかし、神という架空概念が、人々の集団生活を円満かつ円滑に
進めるための潤滑油になっていることは確かで、そういう背景を踏まえれば、
神という概念を踏まえさせるために、神が信仰されているという現実が横行していると考えるのなら、
なぜ神という非科学的架空概念が科学的思考が蔓延している現代においても信仰されているのかという
問に対しては解答が得られたのではないかと思う。
神が居ればこそ自由意思が存在しなくて済むのだが
個人には無いけど、集団には存在意義がある……なんか、ブラック企業の裏の社是みたいやね…
稚拙な独自研究に過ぎない 暇な大学生が書いたのかな? もうちょっと勉強した方がいいよ