2015-05-11

私の存在は母を不幸にしたという固定観念が抜けない

子どもの頃から私という存在が親を苦労させてるという罪悪感が消えない

私がいるからお父さんは夜十二時までサービス残業する銀行をやめられない

私がいるからお母さんは家庭を顧みないお父さんと離婚できない

私がいるから看病や家事のためにお母さんは働きにも遊びにもいけない

私さえいなければお母さんは自由になれた

私の存在がお母さんを不幸にしている

から私はお母さんのような人間になりたくない

お母さんは毎日美味しいご飯と綺麗なお家や衣服を与えてくれて私ともよく遊んでくれたけど、

そんなのにつきあわされ時間取られるってなんて可哀想なんだろう

私さえ産まなければ、もっと幸せだったろうにな

と、三歳児の頃には思ってた

上記の通り母親家事育児完璧にこなしてたんだけどね

なんでだろうね、親戚の誰にも温かい家庭だねと言われていたのに

私自身には生まれてきたことへの罪悪感と母親という生き物が哀れであるという視点が消えることはない

まれてきてごめんなさい

でも、それなら私なんか産まなきゃ良かったのに

産む選択をしたお母さんはやっぱり頭が悪いんだよ

という話を母の日の翌日にあえて書く

  • 三歳児がそんな難しい事を考えられるとは思えないので 後付けの記憶だと思う

  • コイツ一見申し訳ないと思ってるポーズだけど 単に自分がクズでも母親が悪いって開き直ってるだけのクズだからな 親であっても他人に人生を捨てろと脅迫する、図々しい子供メンタ...

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