今のご時世生きがい論は腐るほど目にして陳腐化されているが、死にがい論は淘汰されつつあるのではないか。
検証はしないが最近の私を含めた若い人々は、ある程度生きがいはあるが死にがいがないという状態なのではないか。
ハンターハンターが終わるまで死ねない、とかごちうさ二期が終わるまで死ねないと冗談で言うがその人間たちはいまも平気で生きている。
近代的主体たち、つまり大人たいは定職に付き家族を守るなどという役割を見つけた主体は主体像が確立され死にがいをそこに見出す。
失業、離婚などそれを一度手にし失ってしまった彼らはそれらの消失により自死へとむかう。
死にがいは消失したのだろうか。
はたまた、イスラム国家を見ているとジハード、つまり死にがいが確実に存在している社会である。
彼ら若者たちは死にがいを求め異国に旅立つ。
太平洋戦争時に戦地に赴かされた若者たちは、ある意味で幸せだったかもしれんな。 少なくとも、非正規労働で人生を磨り潰されて生きてる若者たちよりも生き生きしてただろう。 だ...
生きてるだけで人様の迷惑になるお前なんかには死にがいはあるだろ?
お前のつまらない煽りのネタになるくらいの価値はあるじゃねーの?
お前のつまらない煽りのネタになるくらいの価値はあるじゃねーの?
死にがいって一瞬の事しか言わないならそうかもね 〇〇して死ぬ ならいっぱいあるじゃん
死にがいって〜のためなら死ねる、ってこと? 〜のために死にたいとか死ねれば幸せ、ってこと? 前者ならまだある人にはあるんじゃないの。 でもそれは死にがいじゃなくて生きがい...