くるひもくるひも書き続ける人がいる。しかもけっこうなボリュームのやつ。
一日の制限された自由時間の中でそれだけの量をかけるってのは、つまりもう既に自分の中で決着がついたことについて記しているわけでしょ?
答えが出ているものをわざわざ文章化するってめんどくさくない?たいていの場合、思索の段階で結論を導けると多くの人は思っているし、それを実行している。だから書くに至らない。
しかし、それでも書く人がいる。例えばブログを更新する人々は何を動機に書き続けるのだろう?アフィリエイトの収入を期待してとかならまぁ気持ちはわかる。あるいは、自分の考えをみんなに知らしめたいとかもまぁいいでしょう。一時の感情の鬱憤を晴らすとかもハイ。
一方で思索するために書く人もいる。書きながら頭を整理して、アイデアを刷新していこうという試み。まぁこれもわかる。備忘録とか、単なる日記とかの類もハイハイ。
でもね、やっぱり書き続けるってのがわからない。非生産的だと思うんだよなあ。書くという行為自体は生産的であっても、それ以上に非生産的な要素のが多く挙がってしまう。それにかける時間とか、労力とかね。支払ったものに対する対価が見合わないんだよね。書いてアフィ貰おうとかならフツーに働いた方が儲かるし、娯楽なら他にいくらでもあるし。だからみんな考えるだけに留める。
わかっているから書かない、書けない。書いてもほんの一瞬で、せめて140字くらい。じゃあわからなかったら書くのか、書けるのか?いやいやそれこそよくわからん。
「食うてひり、 つるんで迷う世界虫、 上天子より下庶人まで」 司馬江漢 世界虫、つまり人間は、 食べ、排泄し、性交して迷うものである。 それはどんな偉い人でも一緒。 http://anond...
多分、「残るもの」だからだと思う。残るものだから続けていけば分量が増えていく。そして、コメントなどがついたら「正しいことをやった」と思ってしまう。そういうのが続いてい...
いやね、別の人が書いてるのとちがうかね。