日本が認める制度において生まれる責任は日本国民もまた逃れる事なく有しなければならないという考えがある。日本が民主主義である以上これは正しく、全面的に間違っているとは誰も言えないだろう。
この考えに沿うと、死刑が認められている日本において少なくとも国籍を自ら変えることのできる国民は全て人殺しの責任を負うことになる。
この考えを聞いてどう思うだろうか。
私は死刑廃止派ではなく、だからといってはっきりとした死刑容認派でもない。せいぜい緩やかな死刑容認派といったところだ。はっきり言って死刑に対して確固たる考えはないのだ、当事者にはなり得ないと考えているから。
しかし日本人が私を含めほとんど全て人殺しと言われると、たとえそれが正しいとしてもいい気はしない。というかそう言われるくらいなら死刑廃止もありだろうという程度の考えなのだ、結局。
つまり死刑廃止派は早いうちに国籍移して外から廃止を叫べばいいんじゃないか。
ヨルムンガンドじゃないが恥が持つ力は大きいと思う、特に日本では。国際社会から非難されてなお死刑を続けるのは利益が薄いし、さらに利が薄くとも続けるほどの死刑継続を支える思想は日本にはないだろう。
犯罪者に対して最大限不寛容な態度をとるというのは むしろ美徳に値しないだろうか? 諸外国は寛容をもって被害を拡大しているのだから 我々は正義の人であることを誇りにできる。
人として生まれた以上屍の上に立っていることに自覚的であるべきだと思うけどなあ
死刑賛成派の割合は、ここ十年、8割を割ったことがないんだが。