後輩たちが忘年会に行くのを見た。
うらやましい。
自分の代は既に同期の中で仲良しグループが出来上がっていて、そうしたグループ内だけで忘年会をやることになっている。
先輩の部屋の前にスキー板が立てかけてあった。
うらやましい。
忘年会に行きたければ同期を誘えばいいし、スキーに行きたかったら、スキー板とか一連の道具を買うなりレンタルなりして、スキーに行けばいい。金ならボーナスも出て500万以上の貯金がある。
できるのに、やろうとせず、そしてなぜうらやましがるのか?
いや、違う。
「忘年会を楽しめる」「スキーを楽しめる」その体力や感性がうらやましいんだ。
正直、忘年会に誘われても酒が飲めないから酒臭いのが嫌だから行きたくない。
スキーに誘われても寒い上に、滑れないし、疲れるだけだから、行きたくない。
でも、自分にとっては苦痛以外の何物でもないこれらを、彼らは楽しそうにこなしているのだ。
実社会でより求められる、もしくは、実社会により適応できるのは、私と彼らどちらだろうか?
当然彼らである。
淘汰圧は、彼らではなく私を排除する。
ケーキパーティはどうだろうか。 あるいはオンライン上で仲間を作るのは?
この人は何なら楽しめるんだろう。
感性とか体力とか行けない理由を探すより 行ってみたら? 実際に自分でやってみると、以前と全然印象が違うこともあるよ
誘われたとしても行きたくないとか楽しめないから…、というのは単に誘われてない事実に対しての自己弁護の言い訳だな
実際に誘われて、かつ断る人種もいるんだよ。
分かってるならなんとかせねばな。>淘汰圧
淘汰圧ってのは子孫を作るかどうかってことだよな。 同僚がけまらしかろうが、子孫をつなげる子供を作れば無問題。 けまらしかろうがドキュんだろうがゆとりだろうが関係なし