2009-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20091031003415

バリバリ中の人が答えてみる。

ただし、バリバリ活動家にもいろいろな考え方や見方があるので、鵜呑みにはしないで欲しい。

最後は誰の助けも得られず孤独に陥るというのが常である。わたしは精神的に強い方なのでまだいいが、弱い人は創価学会に入ってしまうのかもしれない。

入るときは弱いという人もいるかも知れん。

しかし、精神的に弱い人間は、学会に居続けることができても、活動家にはなれないし幹部になれてもやっていけなくなる。

全ての活動家や幹部は、「一人立つ」ことを求められる。

そうなっていなければ、いざという時に何もできなくなってしまうからだ。

創価学会に入ると所得の10%を池田大作先生に上納する必要があるという。

ねーよ。

知らない人には上納なんだろうが、創価学会財務は限定された会員しかできない。

財務を行うためには、広布部員にならないといけない。

広布部員は志願制で支部長面接がある。

ただ、親が自分子どもの分として、名義だけ広布部員にすることがある。

だからといって、やりたくないものに直接出させるようなことはしない。

心得違いの幹部が絶対にいないとはいえんが。

広布部員になれば、財務として年間1口1万円以上の義務が生じることにはなる。

しかし、事情が変わってできなくなれば、無理にする必要はない。

自分はいつも1口だけどな。

1度3万円やったことがあって、「今年はいつもの3倍やりました!」とか会合で発表したりもしたけどなw

財務とは別に、随時受け付けている広布基金というのもある。

これは、自分が出したい金額でできる。

本部へ行ったら、2千円くらいは出すようにしている。

それくらいは財布に余裕があるようにしていたいという思いがあるので。

精神的に弱い人は社会でも成功していない人が多いだろうから所得も低いのではないだろうか。学会員にとって10%の上納はそれなりに大きな支出であると推測される。しかし10%から得られる精神的安定に価値見出しているのだろうから学会員を続けるのだろう。創価学会とはそんなにいいものなのだろうか?

バリバリ活動家は、多かれ少なかれ、信仰によって何らかの困難を克服した体験を有している。

だから強い。

どれだけ精緻理論を構築したとしても、実際の現象を覆すことはできない。

だいたい、財務や広布基金にしても、報恩感謝の思いや広宣流布の使命感からでなければ、ただの寄付であり金額は数字でしかない。

それで精神的安定が得られたとしても、単なる自己満足以上のなにものでもない。

学会活動するのだって、自分時間を捧げているということになる。

「時は金なり」というのであれば、自分時間を供養しているわけだ。

その先に自分の絶対的幸福境涯の確立があるという確信があり、活動自体も楽しいからこそ、学会活動ができるわけで。

ま、本気でやったことのない人間には、百万言を費やしても理解できないだろうし、理解できたとしても共感はしないだろうな。

記事への反応 -
  • 学生の頃は先生という人生の道しるべがおりました。わからないことはみんな先生にきいて解決しました。解決できないことはまずありませんでした。しかし社会に出てみると解決でき...

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    • 薬を飲んでいるため文章の保証はしない。学会の話を記す。 学会というのは「講」である。つまり、「講」だ。この時点で、まともな宗教団体ではなく土着の宗教や信仰宗教団体である...

      • 講が欲しいのはどうして?

        • 講というのは「財産分配」があるんだよ。 参加者の持ち物を講(参加料)に払って、それで講の参加者全員を見たそうとする機能な。 企業なら「就職」の分配。受験なら学校といった感...

          • 共同体への帰属感っていう精神と、就職やら結婚やらの実生活の、両方がそこにあるわけか。一度入った人間がやめるのは無茶苦茶きついな。生活も精神安定も人間関係も失うわけだか...

            • ネットは楽だって言うけどネットでも精神的にきつものがある。 思い出しては頭痛くなるよ。少なくとも誰かが悪かったって言うだけの話になるとも限らないから。 寂しいけれど、今後...

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