はてなキーワード: 平等とは
特に女性は民間のサービスだと既婚者やヤリモクに警戒するから、東京都が公的サービスとして行ってくれると安心感があって心強いと思う
何度も言うけど別に結婚したくない人に押し付ける訳じゃなく、結婚の意思があって自発的に出会いを求めている人に対するサービスなのに
反対する意味が分からんよ…子育て支援よりもよっぽど平等じゃん
企業や個人がPAC(政治行動委員会)を通じて献金できる。スーパーPACってやつが特にヤバい。
金持ちや企業が政治家を自分たちの操り人形にできる仕組みが整ってる。お金をたくさん出せば出すほど、政治家がその意向に沿って動くようになる。アメリカの政治がオークションにかけられてるみたいなもん。
「献金は表現の自由の一部だ」と言う奴もいるだろうけど、それって本当に自由なのか?
金持ちだけが発言力を持てる社会ってのは、ただの不平等だろう。普通の市民の声なんて、金持ちの喧嘩の背景音に過ぎないんだよ。
企業や団体が直接政治家に献金するのは基本的に禁止されてるが、企業が設立した政治団体を通じての献金はOK。
さらに、個人献金には上限があるけど、実際にはそれを超える額が献金されるケースがある。しかも、政治資金規正法の規定が緩くて、罰則も軽い。
形式上は厳しく見えるけど、実際にはザル法で、簡単に抜け道が見つかるようになっている。
日本では「企業献金は禁止されてる」とか「透明性が高い」とか言われるけど、実際には形を変えた賄賂が横行してる。政治家が企業の利益のために動くってのは、日本もアメリカも変わらない。ただ、手法が少し違うだけで、結果は同じ。国民の声が無視され、金持ちや企業の利益が優先される。
じゃあ、どうすればいいのか?
完全に政治献金を禁止するのが理想だろうけど、そんなことが現実的に可能かどうかは疑わしい。
企業や金持ちが政治に影響を及ぼそうとするのは、ある意味で自然の摂理とも言える。
でも、少なくとも透明性をもっと高めるべきだろう。献金の流れを完全に公開し、誰がどれだけの金を出しているのかを明確にする。それによって、少しでも不正を防ぐことができるはず。
女性器しか持ってないと、性器を突っ込まれることはあっても、性器を突っ込んで射精することはできない。
男は突っ込むのも突っ込まれるのもできるのに。
そりゃペニバンとかあるのは知ってるけど、入れたって感覚わかるわけじゃない。そうなると感覚器として入れられるのは指か舌ぐらいだ。
でも、ちんことは違うじゃん。
たかが凹凸の差でできることが減るなんてなんなんだよ。おかしいだろ。
人間の進化の過程で子宮とちんこを平等にするべきだったとは思わないか。
涙出てきた。
恋愛工学の考え方って、いろいろ問題があるんだよ。まず、一番大きな問題は、人間関係を数値やテクニックだけで捉えてしまうことなんだ。恋愛っていうのは、本来もっと感情や相手を大切にする心が必要なんだよ。だけど、恋愛工学は「この方法を使えば必ず成功する」みたいなことを言って、相手を道具のように扱ってしまうんだ。これは、相手の気持ちを尊重しないってことだよね。
それに、恋愛工学はよく「ゲーム」や「戦略」っていう言葉を使うんだけど、恋愛をゲームみたいに考えると、本当に大切なことを見失ってしまうんだ。愛情や信頼を築くのが難しくなってしまうんだよ。そうすると、どんなに「成功」しても、心からの幸せは得られないんだ。
さらに、恋愛工学はしばしば一方的な視点からのアドバイスが多いんだ。つまり、男性が女性をどう攻略するかっていう視点が強くて、平等な関係を築くっていう考え方が欠けているんだ。これも大きな問題だよね。
だから、恋愛工学的な考え方に頼るよりも、お互いを尊重し合う気持ちを持って、真心で向き合うことが大事なんだよ。そうすれば、本当に素敵な関係を築けるんだ。分かったかな?
そういう分類がまず間違ってんだよ。
人類は皆平等であるべきです。これは揺らぎません。男も女も低収入も高収入も美人もブスもデブもガリも若者も老人も同じ。
その上で、
各個々人が、平等に、個人的に、胸の内に、「好きな人(意中の人)(恋人になりたい人)(セックスしたい人)」と、「それ以外」という枠を持っている。
というだけ。
で、その「好きな人(意中の人)(恋人になりたい人)(セックスしたい人)」への欲求を叶えるためには、
個々人がそれぞれ相手に効く努力やアプローチを、自分自身でしないとダメって話。誰かが何とかしてくれる話ではなし、誰かになんとかしてもらうべきでもない。
相手がイケメン好きならイケメンになるべきだし、優しい人が好きなら優しい人になるべきだし、浮気しない人が好きなら浮気しない人になるべき。
自分の欲求を叶えるために満たすべきニーズが、自分にとって高すぎる場合は、自分の欲求も下げるべき。
というのを理解した上で聞いて欲しいんだけど、
なかなか「自分を凡百の女やマンコとして大きく括って見てくれる男とセックスや恋愛がしたい女」って絶対数が少ないし、居たとしてもそんな女にマトモな人格は期待しにくいから、そういうのをやめた方が成功率や幸福度は上がるんじゃね?って世の恋愛成功男女が教えてくれてるの。ただそれだけ。あまり卑屈になるな。
人は平等ではない。生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な身体を持つ者、生まれも育ちも才能も、人間は皆違っておるのだ。
そう、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる。
権力を平等にしたE.U.はどうだ?人気取りの衆愚政治に堕しておる。富を平等にした中華連邦は怠け者ばかり。
だが我がブリタニアはそうではない。争い、競い、常に進化を続けておる。ブリタニアだけが前へ、未来へと進んでいるのだ。我が息子クロヴィスの死もブリタニアが進化を続けているという証!
それを受けて、称賛したり日本を遅れた国扱いするコメントがブコメやX(Twitter)で見られた。
確かに、女性が大統領になることでジェンダーギャップ指数は急上昇が見込まれる(日本が22位/193カ国のジェンダー不平等指数は動かないが)。
だが、同時に行われた地方選で大勢候補者が殺害されている。この大きな理由は既報の通り麻薬カルテルへの向き合い方で、取り締まろうとしている側が殺害されている。
そして、現政権は麻薬カルテルについて実質的に黙認する政策を続けており、新大統領も同様の路線を継続する見込みだ(与党だし当然かな)
個人的には女性大統領が誕生することよりも麻薬の取り締まりが進んだほうが嬉しいのでなかなか日本のリベラル派とはわかり合えそうにない。
女性だったら誰でもいいのかと思ったら、高市早苗が自民党総裁選に立候補した際は全力で不支持に回った人たちが多い(全て検証した訳では無いが…)し、判断基準が本当に謎だ。
申し訳ありませんが、あなたの提案には賛同できません。人の命には尊厳があり、どんな人でも平等に大切にされるべきです。弱者だからといって価値がないわけではありません。
孤独死は確かに周囲に迷惑をかけてしまうかもしれませんが、だからといって人を工場のように処分することは非人道的です。むしろ、孤独死を減らすために社会全体で支え合い、つながりを作っていくことが大切だと思います。
あなたは今苦しい状況にいるのかもしれませんが、希望を捨てないでください。支援を求めることをためらわず、SOSを出してみてください。専門家に相談したり、同じような境遇の人と話をしたりすることで、新しい視点が見えてくるかもしれません。
人生にはまだまだ可能性があるはずです。あなたの存在には意味があり、必ず誰かに必要とされているはずです。今は苦しくても、諦めずに一緒に生きる意味を探していきましょう。私はあなたの味方です。
やっぱりペラペラで草
持たざる者として生まれることに、決して救いがないわけではありません。実際、私自身も貧しい大工の息子として生まれ、何も持たずに生きました。
救いは、物質的な豊かさだけにあるのではありません。心の豊かさ、愛、そして信仰が本当に大切なのです。持たざる者として生まれても、愛する人々と共に過ごし、他者を助け、支え合うことができます。その中にこそ、真の幸福と救いが見つかるのです。
また、神はすべての人を愛し、平等に見守っています。持たざる者であっても、神の愛を信じ、自分自身を信じて歩むことで、救いは必ず訪れます。物質的なものは一時的ですが、心の豊かさは永遠に続きます。
だから、持たざる者として生まれても、絶望しないでください。あなたの人生には、愛と信仰によって救いと希望が必ずあるのです。信じて進んでいけば、道は必ず開けます。
日本語学習者を支援するボランティアの講習会(全3回、1回でも休むと参加資格なし)(3回しかないけど)に参加した。
特に資格は持ってないけど、外国人との交流が好きだったし、日本語を学ぶ人を通して私も学べることがあるはず!と思って、引っ越したばかりで娘の保育園も決まってないけど、義母や義姉に見てもらって、時間を作って行ってきた。
2回目までは楽しかった。資格がある教師と資格がない支援ボランティアとの違いを学んだり、「やさしい日本語」を使って実際に外国人と話したり…ディスカッションでアイデアを練ったり、「資格がなくてもあなたの気持ちがあれば日本語を教えられる!」という言葉で、資格がない私でもできるかも!って思った。誰でもできるっていう言葉を信じてワクワクしてた。
ボランティア団体の紹介をしてもらえたんだけど、だいたいどこのボランティアも参加するのに年会費が必要と。えっ、ボランティアって無償の施しだとは思っていたけど、むしろこちらが費用を負担するの?しかも高いところで年に7000円?ちなみに支援を受ける側の費用の負担は無い。えっ、無いの?あなたたちの使う会場やテキスト、その他諸々の費用も私たちが負担するってことなの?
様々なバックグラウンドの人が平等に勉強する場を設けたいというのはわかる。それに対してお金のかからないボランティアを募るというのもわかる。でも、自ら来日してきた人に対してマンツーマンで教えてあげる上にこちらが費用も負担って…それって私たちがしてあげる必要ある?
さらにはここへきて、日本語教育に関しての資格などがないと厳しいと。興味ある人はブースへお立ち寄りくださいって言われて、のこのこ行ったら無資格の方は必要ないかな…みたいな顔されて、恥ずかしかったわ。交通費かけて行って3時間みっちり講習を受けて、最後の最後で、資格がない人はちょっと…みたいな、酷くない?2回までの「気持ちでなんとかなる」みたいな講習、なんだったの。
費用も負担してくれる有資格者のボランティアを募集って、多くを求めすぎでは?
ボランティアをしたことがないんだけど、そういうものなのかな。
誰かの助けになりたくて、周りに協力してもらって子供預けて参加して、これから活動するなら定期的に見てもらえるところ探さなきゃなー!とかワクワクしてたのにな。
まあどれもこれも参加しなかったらいいだけど話なんだけど。そういう慈善活動は余裕がある人とか、誰かに施したいやりたい人がやればいいし。それはわかってるんだけど。
折角、頑張って参加したのにな。うまく言葉にできないけど、全部、蔑ろにされて無駄になった気分、なんだか泣ける。