はてなキーワード: 顕示的とは
養育したい欲求自体はあっても子供が自立できなかったときに2000万じゃ済まないし親が死んだあとの子供がどうにもならないしで責任取れないから犬猫に行くんでしょ
犬猫を高齢者が飼い始めることも飼い主のほうが先に死ぬ可能性があって犬猫が残されるから無責任って言われているし
養育する側の責任がとても重たいから短命でローコストな生き物に向かうのは当たり前だと思う
ペットの猛犬が子供を襲った事件はあったけど、ペットはどれだけ飼い主がカスで飼い方が間違っていたところで、
京アニ放火や心療内科放火や秋葉原トラック加藤や池田小の宅間みたいに育つだけのポテンシャルがないという安全さがある
小中学校の時点で子供が不登校引きこもりになってしまって重い発達障害が判明して就労が絶望的みたいなケースを目にするほどに「どうするの?」って思う
子供が小さい現在であっても親はすごく大変そうにしているけど、現在よりも子供が大人になったあと中年になったあと、より悲惨になっていく未来しか想像できない
熊沢英一郎の父・母・妹の全員が可哀想だと思うし、父が手間も金もかけて結構努力していたけどどうにもならなかったし、ああいうケースについてはどこにも出口がない
寿命から考えたら絶対に親のほうが先に死ぬわけで親が死んだあとも子供が生きていけるように育てるのが親の責任だと言われているけど
子供が重度の発達障害の場合・・・というか自閉の特性が強い場合は環境を調整するしかないし、その人のために奴隷になる人が周りにいないとダメだよね実質的に
そもそも子ガチャで自閉児を引いた時点で人生が終わるし人生全部自閉児の環境調整に捧げたうえで子供より先に死んだら無責任ってことになるの酷すぎない?
知的障害児の親を何組か見たことがあるけど知的障害のみの子の場合は親が実はそんなに疲弊していなくて、ボロボロになってたのは自閉特性が強烈な子の親だったよ
自閉が強烈かつ知的能力も低いとなると自閉傾向によるストレスの発散の仕方が暴力的になり親に当たって本当に酷いことになってた
あとなんか被害妄想が凄い気がする・・・陰謀論の界隈にも見るけど知性が低くて自閉傾向があると無から「被害感」を製造する傾向があるし先天的な傾向で治らないよねこれ?
子ガチャで「被害感」を感じやすくて「被害感」を理由として加害しまくるタイプの子供を引いてしまったら親の人生終わりだと思う・・・
自分に軽度の自閉傾向がある「ギリ層」だったり親族に微妙な人がいたりしたら、子ガチャで「詰み」を引いてしまう確率が高いわけだからもうやめとこうってなるよね
私の場合、自分は辛うじてなんとかなっているけど理由は運としか言いようがないし、それでも定期的に「無理」になるから子供なんて絶対考えられない
健常児だったら微妙に特性のある私のヤングケアラーになってしまいそうだし、自閉児だったら軽度自閉が重度自閉の環境調整を続ける地獄になるし私より重度の子だったら絶対社会適応できない
だいたいIT産業が大量の自閉傾向の持ち主を資本主義経済に取り込んでる節があって、これAIが発展したら大量に不要化される気がするんだよね
必要な人間の数がゼロになることはないだろうけど少ない人数で回しまくれるようになると思う
今、ギリなんとかなってるギリ層の椅子は無くなって知的能力トップ層がAI活用して少人数で回しまくれる
そう思うと賢い健常の子以外、生まれてきて生きていく幸せってあるの?と思ってしまう
ギリ層で不安定な親から生まれてきて不登校児になって無職ルート行って人生経験をつめないまま社会や他人への不満だけ抱いたまま
フィクションだけ摂取する人生って本当に苦しむばかりだし生まれないほうがましだと思う
itotto 他人からどう思うわれるのかばかりを気にしてるみたいだけどそんなことよりも自分がどうしたいとかないの?したいことがないから人の目が気になるんじゃない?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4754002417981406752/comment/itotto
私は子供に自閉傾向が出て環境調整人生になるくらいだったら要らないと言ってるし自分自身が生まれたかったかというとそうも思わないってだけです
「他人からどう思うわれるのかばかりを気にしてる」なんて話は夜職女子やゲーム課金等々顕示的消費の話などで好きなだけやれ。療育や医療福祉の領域には出てくるな
回避とHSPの併発って言われると、それもう回避じゃなくてNPDの過敏型が正体じゃないの?
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回避傾向を持つ群
騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な自己愛性パーソナリティ障害の人物像とは対照的に、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避ける過敏なタイプの自己愛性パーソナリティの人々がいる[48]。彼らは周囲の人が自分にどういった反応をするかに非常に敏感で、絶えず人に注意を向けている。批判的な反応にはとても過敏で、容易に侮辱されたと感じる。人に非難されたり、欠点を指摘されることを恐れ、社会的に引きこもることで葛藤を避け、自己の万能世界を築きあげようとする一群である。自分は拒絶され軽蔑されるだろうと確信しているために、スポットライトを浴びることを常に避ける。表面的には内気で抑制的に見えるが、その実、精神内界には誇大的な幻想を抱えており、自己愛的活動の大部分を空想の中で行い、それを人に知られないようにしている。彼らの内的世界の核心には、誇大的で顕示的な秘められた願望に根ざした、強い羞恥心がある。
一見すると慎み深く、ときに深く共感的に見えることもあるが、それは他者に純粋な関心があるように見せたいという彼らの願望を取り違えているだけである。彼らは自分の心的防衛の最終段階にある抑制的な行動しか目に入らず、自分のことを恥ずかしがり屋で自己主張ができない人間であり、当然受けるべきものも得られない性格だと考えていることがある。現実には持続的な人間関係を持つことが出来ず、共感性の欠如を示し、内に秘めた誇大的な自己像は慎重な面接を繰り返していくことで徐々に明らかになっていくのが、潜在型のナルシストの特徴である[48]。
アメリカ精神医学会は精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)において、自己愛性パーソナリティ障害の人物は批判や挫折に伴う傷つきに非常に敏感なため、社会的ひきこもりの人々にも見られることを報告している[49]。グレン・ギャバードは、潜在型の自己愛性パーソナリティ障害の人々は回避性パーソナリティ障害や社交恐怖と多くの点で関連していることを指摘している[50][51]。また牛島は、現代の操作的診断基準(DSM)においては顕在型の傲慢なタイプは自己愛性パーソナリティ障害と診断されるが、潜在型の過敏なタイプは回避性パーソナリティ障害(あるいはスキゾイドパーソナリティ障害)と診断されてしまうことが少なくないと述べている。これらは精神力動的には同じもので、単なる表裏の問題に過ぎず、背景にある自己愛性の問題を把握することが必要であることを指摘している[52]。また丸田は、典型的な症例は無関心型と過敏型の特徴のどちらかを示すが、臨床的にはほとんどが両者の混合型であり、ひとつの症状軸である「他者の反応に意を介さない vs 他者の反応に対して非常に敏感」を取り上げても、その反応は振り子の両極のように大きく揺れ動くのが特徴(健康な人は揺れが少ない)という点を指摘している[53]。現実の自己愛性パーソナリティ障害は、ギャバードの分類した無関心型の極から過敏型の極へと至る線上のいずれかにプロットされると考えられる。
自己愛性パーソナリティ障害は、対人関係における搾取的行動、共感性の欠如、激しい羨望・攻撃性・自己顕示欲という諸々の特徴を示す[57][58]。彼らの持つもう一つの側面は、その傷つきやすさである。意識的なレベルでは、それは無力感、空虚感、低い自尊心、羞恥心に由来するものである。それは彼らが求めたり、期待する支持が与えられない状況や、自己主張が不可能なために退避するような状況において、親しくなることを回避するという行動で表現されることがある[58]。自己愛の病理は軽症から重症まで連続的な広がりをもち、その自己表現形式も多様である。