はてなキーワード: 黄砂とは
・最近近隣諸国が危なそうなので、防備はきちんと固めて欲しいと思っている
現在の水準で充分。
それよりは外交をなんとかしてほしい。
そんななか、
有効な信頼関係を築くようにがんばってほしい。
・上に関連して、憲法が変わっても別にいいと思っている
日本を攻め落として属領にするよりも蒙るコストの方が高いぶんには心配はいらない。
なので軍備強化のために憲法を変える必要はないと考える。
ただ、解釈がまいど分かれるのは問題なので戦争の放棄を再表記する旨であれば反対はしない。
・韓国には殆ど興味がないが、中国との領海問題や日本海の汚染問題には関心がある
中国との領海問題は深刻。
経済的に蒙るコストも大きいので経済的に優位な現段階において日本が権利を買い取るのがいいのではないか。
いずれにしろいまのままではあやふやすぎる。
海洋汚染、黄砂の問題などは深刻。根強く改善の指導にあたるよりない。
・上に関連して、中国よりは米国と仲良くした方がいいんじゃないかと思っている
ただあまり米国に頼りすぎるのは問題。
・君が代・日の丸問題を見ると、いいじゃん国歌くらい歌えば、と思う
「愛する態度」とか、「尊敬する態度」を国や政府が指導しようとすることに強い違和感を覚える。
国旗・国歌法など不敬罪を立法化したようなもので思想、表現の自由を著しく奪うものだと思う。
国旗・国歌を規定するのは悪くないが強制、義務化するのは問題だと思う。
・君が代不起立で処罰は右傾化だ云々、と見ると、公務員なんだし仕方ないんじゃないかね、と思う
東京都のことだとおもうが規定された以上従うべき。つまり起立しておくべき。
規定された以上理不尽でも従い、それと平行して活動していくべきで処罰されてから対抗したのでは無法者ほかならない。
これでは不良生徒の言う「制服なんてダサいもんきてられっかー」と私服で登校するのと同じ。
・フェミの問題は地雷が多いから近づかない様にしている
たじまようこと議論はしたくない。
だが問題とはなんだろう。問題となるほどの主題は果たしてあるのだろうか。
そこに議論すべき内容があるのであれば議論に参加するのに抵抗はない。
・外国人参政権の必要性は理解出来ない
有能な人材の獲得は積極的におこなっていくべきだとおもうので、一定の技能がある人間はもっと積極的に受け入れるべきだと思う。
現在は受け入れ先が先に決定していないと就労ビザなどがとれなかったりする。
博士クラスなら無条件にビザ発給してもいいのではないか?などと思ったりする。
こういう考え方はサヨ認定なんだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20070528174952
うは、右派なのかっー
西斜目南型駅を降り立つとそこは交差点。
地上どころか気がつくと高架になっていたため、地下鉄を降りるとそのまま階段を下り、出口へ。高架下の道路も上の道路も車が縦横無尽に走り回っている。
昔はこんなちょっとした矛盾がおもしろく、色々な矛盾を探し回ったものだった。いまとなっては、ただ単に揚げ足取りになりかねない行為だ。あるいは、大人の事情とやらの意味不明な事情でこういう理由だからこうなのだと自分を言い聞かせてそのような矛盾に無理矢理理由を与えている。
そこから道路を渡り、案の定同じところを一周するという典型的な迷子の状態で目的地へたどり着いた。
電子音が響き渡る。どうやら自己主張の強い機械らしい。コンセントという便利な端子から無尽蔵に電気を使いまくるその機械は鳴りやむ様子もなくまるでだだをこねる赤ん坊のように鳴り叫ぶ。
そういえば、子供の泣き声ほど不快なものはない。電車内において携帯電話の話し声やヘッドホンステレオの音漏れに匹敵するほどの不快指数である。
これらに共通することは、発生源はほとんど罪悪感のかけらも見せないことだ。小声で申し訳なさそうに話している人も結局は同じ部類である。
電車内では一車両まるごと同じ企業、同じ商品の広告が張り巡らされている場合がある。都会では、電車内にとどまらず電車の塗装に細工をして広告だらけにしている車両も走っているようだ。
電子音の話に戻すと、こうしている間にもいまだに鳴り叫んでいる状態だ。よく考えてみると、電子音を鳴らしている原因はその機械を扱っている人物が存在していることである。その人物が機械の育児を放棄している状態と考えると分かりやすい。
世界の人々は全員初心者であり、小さな頃から見たこともない聞いたこともない物体に遭遇してきた。大きくなってからも無意識に未知の物体と遭遇している初心者としての自分はいつの間にかなりを潜め、今までの臭いものには蓋をする習慣とコレまでの経験と照らし合わせて、無理矢理同一視して物事を捉えることになりすぎたのだ。
華麗なる睡魔とカレーになる黄砂との戦いは未だ続いている。むしろ、始まったばかりである。黄砂は花粉に比べて人体に与える影響は少ないのであろうか。そのうち地球は温暖化を通り越して、バンバン化に向かっていくと推測される。
ファイルの修正が進められている。原因は何とか究明されたらしいが、それを修正し、文書化する行為は本質から離れた作業となる可能性が高い。しかしながら、人間はそういった本質から離れたがる習性を備え持っているため、本質から離れた作業に注力してしまい後で焦りを感じてしまうのは特に現代に始まったことではない。
あれもこれも偽物だらけの世の中になってしまった。ただし、よく似たものの中から一つだけ本物を見つけようとするとお天道様の力を借りても延べ2日かかかるだろうという認識だ。
世界水泳大会のスイマーは睡魔に襲われたときの対処方法を持っているらしい。
この先、何が起こるか分からない時代だし、今までも数年前からは考えられなかったことがたくさん起きている。地球ではあちらこちらのプレートにストレスがたまっている。ストレスは何かしらの形で発散させられてしまう。
人当たりの良さと食あたりによる食中毒を目の当たりにすることで、人類はそのような不測の事態に備えて体内に抗菌物質を蓄える。ピロリ菌はこのことについてどのような感想を抱いているのか是非インタビューをしてもらいたい。
貶めてしまうことは果たして善意なのだろうか。漢字を眺めると貝が欠乏していることが見て取れる。従って、ニワトリの飼育に用いられる牡蠣の殻を毎日欠かさず適切な量を摂取し続けることによって貶めが改善され、ヘッドフォンステレオからの音漏れも無くなっていくと容易に想定される。
偽物になってしまうと、欲が出て本物になろうとする。そのような場合には、本物に本物であるという証明を与えてやるとよい。そうすることにより本物が証明という名の呪縛に縛られてしまう。照明は明るく照らされているけれども、全てを照らすには暗すぎる。そこで偽物が輝いてくるのだ。
全てはそこから始まっているというわけではない。枝分かれという表現はあるが枝すぼみという表現はない。尻すぼみになりがちな忍耐力は枝分かれした筋肉細胞によって強化されいずれは鈍感力へと昇華していく。ヨウ素のように昇華すると事後処理に200万ほどの手間がかかることからもうかがえる。
咀嚼能力の単位について世界的な咀嚼学会が行われている地方での議論が活発化している。ただし、咀嚼物としては電圧が一定以上の基準を超えていないと認められないため、学会では単位策定の前に統一された電圧の発生方法をいかに効率的に行えるかの議論が行われている状態である。
愛想の良さということについては議論の余地がありそうもない。全ては愛想が良い機械に支配され、他の分野への応用が利かない状態へと膠着してしまっていることが大きな原因である。しかし、物騒については良さと悪さについての考察が始まったばかりのため、現在のところ主導権を握ることが出来る状態にある。