はてなキーワード: 労働なき富とは
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私はこの問題を、単に疑獄事件というより、日本という國がこのままモラルの面から衰退していくのか、辛うじて踏み止まるか、その分水嶺と思うからです。
それを許容すれば、日本は、道義=背骨、から腐るでしょう。
私は深刻に見つめています。危機、と捉えています。
小沢さんへの疑惑は総選挙前からありました。現在問題にされている不明朗な金の動きは、この人には常につきまとっていました。二十数年前、自民党田中派七奉行と言われた時代から、いつも煙は立っていたのです。
政党助成金の問題も、最近突然話題になった訳でありません。公共事業への介入は周知のことでした。深沢の土地は数年前から週刊誌でも取り上げられました。 その週刊誌(「週刊現代」)を名誉毀損で訴えた小沢さんは「敗訴」しました(確定)。普通に考えて報道が疑惑を伝え、疑惑の対象者がその報道を名誉毀損で 訴えた、しかし裁判所は名誉毀損に当たらないとした、これはその疑惑に根拠のあることを、裁判所が認定したことではないでしょうか。
私は「国税」が、当然動くと思いました。しかし知る限り、動きはありませんでした。
2007年2月20日の小沢の説明は、到底納得できるものでありません。
ある著名な女流作家はその説明を、私の記憶では、人をバカにしている、といいました。
私は直後、その20日の夜に、下のような発信をしています。
ttp://www.nomusan.com/~essay/jubilus2007/02/070220.html
ここで小沢さんは「確認書」を見せました。極めて胡散臭いものですが、報道陣はそれで納得してしまいました。
(いま、この日の小沢会見のビデオで確認してみますと、「公正証書のようなものは作ってあるのか」と質問した記者がいます。公正証書はなくとも、当然の常 識として「確定日付」の認証は、あるはずでした。しかしその後、その点を突っ込んだジャーナリストを知りません。私はこの会見以降、日本のメディアに絶望 したのです)。
この「確認書」は偽造であったと、最近報じられています。当然想定されたことです。小沢さんはいけしゃあしゃあと、それをかざして十分な説明をしたとしました。
そのような人物が総指揮を執る選挙で、しかも甘い言葉の羅列された「マニフェスト」を、疑わず、国民が圧倒的な支持を与えたことは、私には衝撃でした。私は日本国民の退化を感じました。
小沢問題がどのように進展していくのかは分かりませんが、私たちは今、小沢・鳩山という、私たちの常識や良識とかけ離れた異常人を、権力のトップに置いています。鳩山総理のことは末尾で少し触れます。
小沢一郎氏の特異さは、公衆の面前で平然と嘘をつけることです。彼がウソをついていることは、ほとんどの人が、報道陣を含めて、そう思っているでしょう。 そして、そう思われていることを、彼は十分に分っているでしょう。人々の疑いの目に動じることなく耐えられる人です。
小沢さんは幹事長を辞めないと言っています。これは、「今は辞めるに辞められない」ということがあると思います。おそらく今までやってきたように、民主党の代表・幹事長としても、同じ可能性のある立場に立てば、同じことをすると思います。
彼が自分の罪業を押さえ込むためには、絶対的な権力が必要です。
彼は圧倒的多数党の実力幹事長として国会(立法)を押さえました。内閣人事に強い関与をすること、あるいはそれ以上に「陳情一元化」によって、行政を牛耳 りました。仕上げは「司法」の制圧でした。それが今の状況でしょう。悪人が絶対の権力を握る。恐ろしい状況が現実になろうとしています。
鳩山総理の脱税も決して小さいスキャンダルではありません。小沢の巨悪に紛れているだけです。
鳩山首相の、先の「施政方針演説」は、実に気持ちの悪いものですが中でも、自身の巨額贈与受け脱税問題を棚に上げ、
資本主義社会を維持しつつ、行き過ぎた「道徳なき商業」、「労働なき富」を、どのように制御していくべきなのか。人間が人間らしく幸福に生きていくために、どのような経済が、政治が、社会が、教育が望ましいのか。
と演説できる神経は、並のものでありません。羞恥心の欠落した人物です。
ttp://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201001/29siseihousin.html
私たちは今、二人の異常人のもとにいます。
「いのち」の安売り
ttp://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/e/2b17926460ed3f6f9ace9b84aa32cbd7
鳩山総理の施政方針演説に「いのち」という言葉が27回出てきたと新聞で報じていた。実際に目を通してみると意図的に「いのち」が散りばめてある。確かにいのちは大切であるし、守らねばならない。しかし、これだけ「いのち」の安売りをされると、敵ながら消化不良にならないかと心配になる。鳩山総理の言葉の軽さは、定評が出来上がってきたように思うが、「いのち」までが軽くならないか心配になる。以前に、「丸坊主日記」にも書いた記憶があるが、同じ「いのち」も口にする人によっては、限りなく重くなる。ルバング島で終戦後30年日本陸軍少尉として頑張ってこられた小野田寛郎氏が著書「たった一人の30年戦争」の中で述べておられた以下の言葉と比較すると「いのち」の重さの違いに気付かされる。
「戦前、人々は「命を惜しむな」と教えられ、死を覚悟して生きた。
何か命がけでやることを否定してしまった。
覚悟をしないで生きられる時代は、いい時代である。
だが死を意識しないことで、
「生きる」ことをおろそかにしてしまってはいないだろうか。」
何度も引き合いに出したくはないが、あまりに軽く「いのち」「いのち」と連呼されるとひとこと言いたくもなってくる。万の言葉を費やしても通じない事もあれば、立った一言でも億の人々の心を鷲掴みにして離さないこともあるのだ。この日本を守る為に「いのち」投げ出した人達がいて、その「いのち」を疎かにして「いのちを守りたい」といっても人の心に響かない。
同じようにマハトマ・ガンジーの言葉を引用しても、鳩山総理が「労働なき富」なんていっても、国民は、せせら笑っているのを感じませんか?
「鳩山由起夫総理!」
ttp://agora-web.jp/archives/907089.html
鳩山首相の所信表明演説を読んでみました。率直にいって、作文としても出来が悪い。…中身が単なるバラマキ福祉にすぎないからです。特に引っかかるのは、冒頭でガンジーの「7つの社会的大罪」を引用している一節です…
ガンジーはインドの独立を指揮した偉大な指導者ですが、彼の後継者であるネルーの指導した国民会議派は「道徳なき商業」を否定して社会主義をとり、インド経済は半世紀にわたって停滞と貧困に苦しみました。最近ようやくインドが新興国として高い成長率をみせるようになったのは、国民会議派に代わって政権をとった人民党などが自由経済を導入してITなどに重点を置いたためです。
首相は、これから日本をガンジーやネルーのような社会主義の道に引きずり込もうとしているのでしょうか。毎月1500万円のお小遣いにも気づかない人にとっては、商業より道徳のほうが大事なのでしょうが、今の日本の最大の問題は商業が疲弊して経済が衰退していることです。首相の「労働なき富」も、もとをたどればブリジストンタイヤの「商業」によって築かれたものであることをお忘れなく。