はてなキーワード: 信仰心とは
いや、恐らく親にオタ気質があるとキモくなくともオタになりやすい
英国では親の持つ信仰心から抜け出して我が道を進めるのは1/12という統計があるけれども、オタに関しても恐らく同様なのではなかろうか。
想像してみよう、休日に親とキャッチボールをするでもなく、近所の友達を遊び回るでもなく、塾に通わされ教育させられるわけでもなく、宇宙戦艦ヤマトを見、ゴジラ対アンギラスを見、ポーの一族を読み……そうして育った子が、その趣向から抜け出すのがどれほど大変か。想像してみよう、家庭内ではドラマを見る親もなく、親の部屋に散らばるのは漫画とアニメビデオと画集であり、それゆえアニメと特撮で育ち、そうした話題に触れて育った子が、他の普通の子らと馴染むのがどれだけ大変か。子供は残酷で、浮いた子を平気で仲間外れにし、虐める。従って彼らには更正の機会が訪れることは稀であり、自らに似た仲間を求め、そうしてより深みにはまっていくだろう。
結論、オタの中には、小学に入学する以前に、既にオタとしての方向性を確立させてしまっていた人間が、恐らくは存在する。彼らは、より一般的な意味でのオタへと変質していく、それ以前の段階にいる故にはっきりと周囲に気付かれることは稀であろうけれども、後のプロ野球選手がただキャッチボールが好きな少年であったというのと同じ意味で、既にオタとしての地盤を形成しつつある。
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070606
を読んでいて思った。一番大切なことが日本では置き去りにされていないだろうか。
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子は内気にになります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます
友達から珍しく電話があって、ちょっとした話の後、某宗教団体への支持をお願いされた。
それには良い印象が全くないけど事を荒立てるのもなんだしと思って了承しておいた。
誰が何を信じようと構わないが、友達がそれだったのがとても残念だ。
根本的に相容れないとショックだったので悲観的になっているのだろうが、初めの話はだたの口実だったのかとも思う。
(最初に私○○でね、と言われたときは勧誘なのかと正直怖かった)
嘘をつくのは何でもないと思っていたけれど、いざ口先だけの返答をして相手を騙してみると、断ったほうが良かったのだろうか。
今回のことでその子に対してある種の恐怖心が生まれてしまった。今度他の友達も交えて遊ぶ予定があるけれど、内心憂鬱だ。
信仰心は飽きたからやめるというものでもないのでその子との縁もここまでかという気もする。
思えば大学時分にも友達の一人が信者だったけれど、こんな選挙活動はなかったから勧誘やらなんやらというのはもっと年上の人がやっていることなんだろうと思っていた。信心の度合いの違いか。(ただ当時住んでいた地区には住民票を移していなかったことを、信者であると言われる前に話したことがあるので言って来なかっただけかもしれない)
誰か他の友達にこのことを話そうかとも思うけれど、もしかして信者さんだったらと思うと中々身動きが取れない。
そーだな。
俺昔アメリカにいたんだけど、黒いカバー掛けて日本の文庫読んでると(それが小さくて黒いから)聖書に見えるらしく、よく歳食った教師なんかにはエラいねぇと言われたもんだ。それ逆に言えば、聖書読んだり信仰心表したりするのは今や別に常識じゃなくてエラいこと、近所のばーさんに誉められるような話ってことだ。「最近は日曜も教会とか行かなくてねぇHAHAHA」みたいな奴もいるしな。
それは多分直接的にギリシャ神話やそれをインポートしたローマ神話の神々を持ち出すより、更にそいつらをキリスト教がインポートした「聖人信仰」で説明する方が通じやすいんじゃないかなー。ああプロテスタントはダメなんだろうが。
おまえらだって職業やイベントや感情や街に守護聖人つけてるだろ? 俺らはそいつらを「神」って呼んでるだけさ、とかね。
そもそも欧米人にだって「神社に行ったら手は合わせますよ」程度の信仰しか持ち合わせてない人もいるようだし。あまり連中の宗教心にビビるこたーないと思う。思想や文化の根底としての宗教には十分注意を払っておいたほうがいいけどね。
あと、ヨーロッパ人の信仰心はところに寄ってまちまちって事情もあるし、宗教というよりは伝統文化として崇敬してるってパターンもある。日本でも三社で神輿担ぐ人がみんな神道の敬虔な信者ってわけでもないでしょ? 鳥居は足蹴にしませんよぐらいの意識+文化への愛だけでも十分「熱狂的な」宗教イベントは実行されるわけですよ(もちろん「し得る」というだけで、純粋な信仰心の塊みたいな宗教イベントも残っているが)。
だからどっちかっつーと純粋な信仰心で駆動してる度合いはアメリカ人の方が強かったりする。欧州にとっちゃキリスト教は文化だが、アメリカにとっちゃキリスト教は勝ち得た自由だとかなんとか。ただ、この辺は身の回りレベルでは結構納得できるんだけど本当に国民全体にそういう傾向があるかは良く分からんな。まあ「進化論反対!」とかいう連中はあまり欧州からは出てこないってのは覚えといて良いかも。
http://anond.hatelabo.jp/20070408212112
今回は対立候補問題外だったよな。俺なんか黒川に入れちゃったよ。
黒川にしとけば石原との引継ぎもうまくいきそうじゃない?
石原もいいんだけどね、なんせ任期をまっとうするころには78歳だよ??
・・・きしょーも似たようなもんだけどさ。
いずれにしろ次はビートたけしぐらいのインパクトが必要かもね。
あと民主党は一回解体すればいいと思う。意味がわからない政党になってしまってる。
自民党も一旦解体してくれ。ますぞえあたりが新しい党を建てるべきだとおもう。
公明党はよくわからん。創価学会って一体何人いるのさ?憲法における政教分離の原則に反してると思うのは俺だけ?なんでそんなのを許すの?きんぞーも創価なんでしょ?
信仰心があるのは結構なことだけど政治に持ち込むのは許せない。
あと、衆参両院の人数半分でいいよ。
で、外山何票いったの?途中速報みてたけど、なにか名前はでてるんだけどどこも0票だった。
どこかの島で20票ぐらいとってたのが笑った。
まず人間と動物(ここでは人間を含まないということにして)の違いは
理性を持っているか持っていないかとされている(少なくとも人間の間では).
理性「感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力」(goo 辞書より)
その一点だけが理由かどうかは自分には分からないが,
< 引用 >--
神はまた言われた,
「われわれのかたちに,われわれにかたどって人を造り,
これに海の魚と,空の鳥と,家畜と,地のすべての獣と,
地のすべての這うものとを治めさせよう」
--
となっている.
人間は「動物の生死を自由にしてよい」という暗黙の了解があるように思う.
それと同時に「動物を管理する」という役割も担っている.
1)人間が生きる為に理由があって動物を殺すのは「正義」だとみなされる.
2)動物を理由なく無差別に殺害するのは犯罪であり「悪」とされる(よね?).
2)のような行為を行うのは
「感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力」を失っている,
つまり「理性」を失っているとみなされる.人間唯一の能力を失っていた時点で
その人は人間である為の条件を満たしていないとみなされ裁かれてしまう.
と,ここまでは一般的に人間が動物を殺してよい理由だと思っているが,
基本的に人間はどんな理由があろうと人間を殺してはならないとされている.
人を殺すのはその人の「理性」を殺すことであり「悪」とされる.
という考え方はどうだろう??
(では「理性」を失った人間を殺してもいいのかという新たな疑問がわくが…)