はてなキーワード: ただしイケメンに限るとは
ああ、すみません。そして、恐らくもっとわからなくさせてしまうと思います。
「イケメン。ただし外見に限る」 というのは、
>「あんな顔だけの奴より俺の方が知的で誠実で優れた精神を持ってる」
という文の置き換えです。
あなたの書かれた記事に対する、否定的な意見として書きました。
>「ただしイケメンに限る」をよく使う奴に限って内面がダメ(外面は知らん)な場合が多く、
この部分の根拠がなく、少々腹立たしかったためです。あと、全体的に文章の意図と意味が掴めませんでした。
この先は想像の域なんですが、
先のあなたの記事には「ただしイケメンに限る」という言葉がまるでイケメンを批難する為のものであるように書かれているように感じます。
しかし、その言葉は主に非イケメンの方々が自虐をする際に使われる言葉で、批難の先はイケメンでなく
「ただしイケメンに限る」の前にかかってくる事象についてです。
すまんよくわからん。
俺の言ったことを一言で書くとそうなるってこと?
それともイケメンを俺が言ったように定義するなら、「ただしイケメンに限る」っていうテンプレがそう修正されるってこと?
主語がなくてわかんないんだ。
「ただしイケメンに限る」という言葉の中での使われ方としては、外見の良さに限ることでしょう。
基本的に、「ただしイケメンに限る」という言葉の使われ方は、
とある人物がとった言動・行動に対して世間一般が受ける印象が、
その人物の容姿の善し悪しで、違ってくることを表すためのものです。
例えば、「オシャレな服装をすればもてる。ただしイケメンに限る」という文章が表しているのは、
容姿の良い人物がオシャレをすれば、更に洗練されておもてになられましょうが、
容姿の悪い人物がいくらオシャレをしても、小太りのブサイクが似合わない服を着て必死になってて笑える、
といった状況です。
つまり、「ただしイケメンに限る」とは、外見が人に与えるイメージの違いを表した文章であり、そこに性格の善し悪しは関係ありません。
誰を思い浮かべるかは、その人の思うイケメン像でしょう。
実際は内面の性質がにじみ出て外見や言動に影響する、という意味を含めてのイケメンだが、
「ただしイケメンに限る」をよく使う奴に限って内面がダメ(外面は知らん)な場合が多く、
でも本人達は自分の内面が優れていると思っていて、外見も内面も優れたイケメンについて、
「あんな顔だけの奴より俺の方が知的で誠実で優れた精神を持ってる」とか勘違いしてる
というのが実情。
なんとなく思ったこと。
例えば、突如あなたの周囲でスカトロが大流行したとしよう。みんな暇さえあればスカトロである。
しかも泊りがけで。そしてあなたはスカトロが大の苦手だとする。これは実に好ましくない事態だろう。
このままでは仲間はずれになってしまうかもしれないから、何かしらの対策を講じる必要があるとする。
その際、スカトロはやめるべきという論旨で主張をしたところで、おそらく事態は好転しないのではないだろうか。
やめるべきである理由こそいろいろと考えられるが、どれも単なる我侭か大きなお世話かただの詭弁である。
こういうことを言われると、大抵人はむしろ頑固になると思う。
「スカトロは何の効果もないから、やるやつはアホだと思う」とか。
「スカトロはクソくさいからやめるべき」とか。
スカトロの効果など、やってる人が自由に感じればいいし、クソくさいこととやめるべきであることは、まったく論理の飛躍である。
そして大した根拠もなく差別という指摘をするのであれば、単なる中傷である。
とるべき対応としては、おそらく次のようなものに限られるのではないかと思う。
(1)スカトロが、例えば大規模な健康被害に繋がることを客観的に立証する。
(2)嫌々でもスカトロを練習して上手くなり、スカトロについて語る際の説得力を高める。
(4)「実はスカトロが嫌い」という人を探し出し、スカトロ嫌いで結束するコミュニティをつくる。
(1)は、対象物が公的な秩序に反することを利用し、対象物の価値を減じる手法だ。
公的な秩序は、コンセンサスが得られるなら道徳や倫理でもいいだろう。
究極はその対象となる行為によってリアルに逮捕されるような状況なのであって、成功すると非常に高い効果があることは言うまでもない。
ただ一方で、あまり教条的になると逆に主張の中立性が失われ、説得力に欠けることになるし、
他人が公秩序に反することをあまり大きな声で言うと、逆に名誉毀損の罪に問われることもあるという諸刃の剣である。
(2)も、対象物に対する他人の評価を減じる方法となり得る。
ある価値評価機軸に肯定的な論者の価値評価にもっとも影響を及ぼすのは、同評価機軸において相対的優位を有する、
いわゆるカリスマのような人物による指摘だろう。
相対的な劣位から同種の指摘があったとしても、お前に言われる筋合いはないという話にしかならなくても、
相手がカリスマであれば話は別である。ネットで有名な常套句、「ただしイケメンに限る」と一緒(か)。
(3)は、対象物に対する他人の価値評価に直接影響を与えることなく、代替品を持ち出すことによって、
相対的に対象物の評価を下げる手法であるといえる。重要なのは、代替品として対象と機能的に等価なものを探すことだ。
例えばその集団がスカトロに対して感じる魅力の根本(リビドー)が脱糞や自分の食糞なら、食糞でも飲尿でも大した違いはなく、
ふたつは機能的に等価であるといえる。一方、有名なプレイヤーとSMする機会があるなどの動機がある場合、スカトロではなんの代わりも果たさない。
(4)はつまり、仲間はずれになり孤立するという最大のリスクに対処する、既存コミュニティの代替としての新規コミュニティの構築である。
上記3が他者に対して代替品を提示するという話だとすると、これは自身に対する代替品の提示である。
ただひたすら文句を言っていたらなんとなく状況が改善した気がするというケースは、たぶんこのパターンだろう。
似たようなアンチが集ってもう寂しくなんかない、みたいな。
冒頭にあげた例では仲間はずれになるリスクが対処すべき課題であることが前提なので新規コミュニティの構築が対処法となるが、
現実には好ましくないと感じる原因はさまざまある。それ(リビドー)を見極めることが重要になるだろう。
ちなみにこの記事は、ただの文句に対するオルタナティブとして書いたつもりだが、
考えてみればただの文句がただの文句とみせかけた上記3に書いたようになにか別の意図があるものだった場合は見事に空振りに終わる。
ばぁか。イケメンかどうかなんて実際そこまで重要じゃねんだよwwww
よーーく覚えておけよ?男を選ぶ際に決定打になるのはだなwwwwwwwwwwwwww
「体型と頭髪の量」だ。
そういう場合は、「受け入れない相手」が倫理的にどうかというのを基準にするといいと思う。
例えば、ただしイケメンに限る女とか、女なんて外見だけだろと言い張る男たちは、
「人を外見で選んではいけない」という倫理に照らし合わせてダメなのだから、
外見の悪い者が彼らにモテたいために、外見を努力してよくしようとする必要はない。また、彼らを倫理的でないと攻撃することもできる。
「やめてくださいよーwその気になっちゃいますよーw」
って感じで「嫌じゃない」事をアピりつつ相手の反応を確かめる
大丈夫そうならあとはがっつかなきゃなんでも出来る
「身の程を知れ」
以上。
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【補足】
恋愛慣れしていない(以下、非モテ)後輩とかを見てると、トンチンカンな言動がけっこう多い。
「外見じゃないッスよ」とか言ってるくせに案外面食い(面選び)だったり(茶髪嫌いとか小デブ嫌いとかやせすぎも嫌とか)、
「話題がない」とか言ってる割に本人はアニメ・マンガしか見て/読んでなかったりとか。
「身の程を知れ」ってのは、何も「非モテはブサイクとでも付き合えよwww」とかいう意味ではない。
相手の気持ちを知れ/欲望を理解しろ、つまり戦略を持てということ。
自分の「面選び」という欲望を相手に求めるのであれば、相手の「面選び」という欲望も引き受けるべきだし、
話題がなくて困っているのなら「共通言語」を取得するべきである、と思うのだけれども。
【補足の補足】
そう思うなら内面磨けばいいのにって思う。
(注:イケメンの定義が曖昧なので、内面と言う言葉も大雑把に使っている。
ここでいう内面には「もちろん」外見(≠かっこいい顔)も含まれている)
【参照元】
女性が愚痴るのは共感を求めているだけであって、解決策を提案したりすると逆に反感を持たれる…というのはわりと周知されているような気がするが、これは別に女性に限った話ではないのではなかろうか。非モテ表明には、うんうんそうだよね、という共感だけが求められていて、これこれこうしなよ、などと言われるのはノーサンキューなのだ。
「ただしイケメンに限る」とか「着ていく服がない」とかは、自虐ネタとされてはいるが、むしろ対話打ち切りシグナルなのだろう。
ややこしいのは、愚痴に過ぎないはずのことをblogで理屈っぽく論じたりしてしまうことで、意図せず「解決策・反論大歓迎」状態が作り出されてしまうことでは。さらに愚痴の内容が、みのもんたから見れば「自転車乗れない」レベルだったりするので、四方から「練習すれば」の声が飛んでくることになる。
まあ、Webに何か書く以上はどんな反応も覚悟せよ、がはてなの空気のようですので、愚痴を提案で返されるのも仕方のないことでは。
たかだか他人が太ってるくらいで「自制が足りない」とか言いながら弱いものいじめしてる連中を時々見かけるけど、
自制が必要なのはどっちだい、と言ってやりたい。
気に入らない外見の人をおおらかに受け入れる努力も奴らの方こそ足りないし。普段は個性とか自由とか言ってるくせに、やっぱ「ただしイケメンに限る」病かよ。
もう十分に言い尽くされているけれど、周りのカップルや既婚者を見渡してみれば、案外イケメンに限らないことなどすぐにわかることなんだよね。「ただしイケメンに限る」ってのは、モテない人の願望が生み出した言説なんだよ。だって、「自分がモテないのは顔に難があるから」よりも、「自分がモテないのは性格に難があるから」のほうが、ずっと凹むから。
そもそも、女は容姿に関しては男より寛容なんだよ。しかしその分、性格に関しては厳しい目で見る。なぜなら、女は本能的に子供を生み育てることを考えるからだ。とすると、一時の種付けの付き合いではなく、長の付き合いができそうな男を求めることになる。だから女が異性を選別するときは、男が異性を選ぶときに比べて、顔より性格に占めるウェイトが重くなるんだよ。もう本能的にそうなっている。
それ単体に嫌悪感を感じるわけじゃなく
・「処女が好き」の後に「非処女は肉○器www」と続くと気持ち悪い
・「ただしイケメンに限る」の後に「イケメンになら痴漢されても喜ぶんだろ。これだから女は」と続くと気持ち悪い
っていう話だと思った。
女叩きの意味を込めて発言してる人とそうでない人がいて、
一緒くたにするから言ってる方も嫌悪感を感じる方も話が食い違ってややこしくなる。
それはそうと最近2chまとめブログのアンテナサイトを見たら女叩きスレのまとめの多さに辟易した。
もう矯正不可な長年熟成された人たちはどうでもいいけど、2chに妙な憧れを持ってるくらいの若年層への影響が気になるところ。
って、それは男女問題に限った話じゃないんだけど…
「ただしイケメンに限る」の用例を見る限りは、そうは思えないが。
そこが一番ウェイトが大きいってのは君の意見だからなあ。別に「ただしイケメンに限る」って言ってる連中がそう思ってなければ詐術でもなんでもないし。
元のお題が「イケメンの方が有利」だったらその反論も成り立つけど、「ただしイケメンに限る」に対しては無効だと思うが。
恋愛関係の話題によく出てくる「ただしイケメンに限る」のフレーズ。
そのとうりだって思っている非モテ諸君よ、少し考えてみて欲しい。
俺もいない暦年齢の非モテだから言えるのだが、
イケメンに限らないからこそ不愉快になったり理不尽さを感じるんじゃないのか?
えなりかずきが美女を連れているのとどちらに理不尽さを感じる?
「そんなの現実にはありえない。」
だって?ちょっと待った。俺の話を少し聞いてくれ。
俺の周りではここ半年の間に、そういう出来事が起きているのだ。
サークルの「もてない四天王」と呼ばれていた、さえない男達の中の3人が、
「もてない四天王」達がどれくらいすごいかというと、
学祭の模擬店を出したときに付いたケチャップが残っているジャケットを気にせず着ている奴、
(ちなみに学祭は1ヶ月近く前)
半年近く髪を切っていない奴などとにかくひどい。
これで嫉妬しない方がどうかしてる。
ちなみに「もてない四天王」の残った一人は俺。
「ただしイケメンに限る」のじゃなかったのかよ!