「渡辺淳一」を含む日記 RSS

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2010-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20100203200852

まずお前の言う「自衛論者」って誰だ。いったい誰のことだ。

曾野綾子を除いて一体誰が「女は自衛すべき」って言ったんだ。え?

(中略)

そして、「男はケモノ」という「説」をとなえた男がいったいどこにいたんだ?あ?

一応釣られとくが、話の発端になった「男は獣」を書いたのは渡辺淳一って男なんだけど。その文で「男は獣だから女は自衛しろ」と言う話も出てくる。似たようなことをいうやつは性犯罪関連でいつものように出てくる。

これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。

それも文脈読めば明らかなように反語でしょうに。

どう考えても、「被害者の尻馬に乗って、『女性に理解のある優しいボクチャン』をアピールしたいだけ」だろ。hokusyuは。それをiteauは批判しただけだ。

「優しい僕アピール」がなぜ批判されるべきなのかわからん。僻みにしか見えない。逆に「レイプは元気があっていい」とか「やさしくない俺様アピール」なら批判されるべきじゃなくなるの?

それのどこがネトウヨなんだ。はっきり言ってそんなことが読めてなかったんならお前は本気でバカだ。

ネトウヨではないのはそうなんだろうけど、在日参政権賛成でも反対でもないし、自衛しろともするなとも言ってないように自分の態度を明らかにしてないなら、別にリベラルでもなくね?中立と言うほうがふさわしいように思う。女にもてようとするリア充叩き(?)をしたがるあたりなんかが、排外主義ネトウヨとは別種のねらーっぽさを感じてしまうけど。

2010-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20100129013654

そうはいってもはっきり断って逆ギレされて暴力ふるわれたりしたらどうすんのさ。

「それでもあきらめないなら相手は病気なんだから」って、じゃあその相手が病気だったらどうすんの?

そのまま被害受け続けるの?そこの対策まで言えないならあなたの主張は全然意味ないよ。

リンゼイさんははっきり断ったから相手に逆ギレされて殺されたのかもしれない。だから世の女は男の要求をやんわり拒絶するべき」という渡辺淳一先生アドバイスカスだと思うけどあなたの主張も逆の意味カス

あなた自身が「はっきり断れば問題なく終れるはず」……という、自分常識がすべての人にあてはまるはずだと思い込んでるだけ。

2009-12-04

自分もごっちゃになってたんだが

曽野綾子氏は「ミニスカ履いてたら犯されても仕方ない」しか(少なくとも例の記事では)言ってなくて、

「男は獣だ」って言ってたのは渡辺淳一氏だった。

……なおさら悪い気がする。

2009-11-11

渡辺淳一を思わせる文章ってある

明るいOLとか貞淑な奥さんとかを描写して

この女はどうやって腰をくねらせるのだろう

とか想像して腰を見る、みたいな文章

下種といえば下種だけど男受けする文章だよね

2008-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20081224154638

上記腐女子だけど、自分は許すよ。

ていうか挿絵がないだけで、そんなのいくらでも図書館に置いてある。

わかりやすいところでは、菊池秀行とか渡辺淳一とか。

自分も読むし。

ところで、あなたは「腐女子」に実際にそう言われたの?

「言いそうー」とか思いこんでるだけじゃなくて?

そもそも「エロ」じゃないとは言ってないしね。

「全部がエロ」じゃないと言ってるだけ。

2008-11-11

萌えを主眼にした「だけ」の作品なら

BLBL読みを貶めるのもいい加減にしてもらいたい。

http://d.hatena.ne.jp/natsu_san/20081110/1226340474

を読んだが、筆者の言うようにBL小説というものが

BLポルノでは無いし、ポルノの「ようなもの」でも無い。

そこにあるのは、決して自分たちには手に入れられない「関係性」への萌えであり、その象徴である行為への萌えなのだ。

…ということを主眼にした一種の「実用書」なら、それはポルノグラフィと呼んでも全く差し支えないと思う。喩えばSMを主眼とするSM小説の名作は、多分性行為を一切描かなくても(あるいは性行為がほとんどオマケ扱いだとしても)それは一種の「実用書」でありポルノグラフィと呼ばれて問題ないように。「萌え」と言いつくろおうがなんだろうが、そこに描かれているのが性的嗜好に関する幻想セクシャルファンタジー)であることを否定するというのがおかしい。むしろ堂々と、我々の性的嗜好を差別するのか!胸を張らせろとは言わないが否定はするな!と憤るべきだ。その上で、図書館からは粛々と撤去するのが筋だろう。ポルノグラフィというのは私的に楽しむものであって公金で購入するようなものではない。そして付け加えて言えば、だからといって「ポルノグラフィと呼ぶことを『貶め』という」ようなポルノグラフ差別も許されるものではない。

それらのポルノグラフィの中から、まかり間違って「文学」と呼べるようなものが生まれたとすれば、それはそれで祝福すべきである。その場合、図書館で参考として公費で購入し、書庫に所蔵するくらいのことはしてもよい。だが今の時点でそれにふさわしいBL小説が5000冊もあるとは残念ながら信じ難い。今回の件について、「ポルノではない」などと妙な擁護をすることは、むしろ逆効果だと知るべきだ。

まあ渡辺淳一とBL小説を区別するものは余りないと思うので、渡辺淳一とかも図書館からは撤去すべきだと思う。マジで

ちなみにラノベって図書館に入ってるのかね?

2008-10-19

よくいるんだよ、こういう男。

http://anond.hatelabo.jp/20081018212017

この人、妻に対してそうだったように、しばらくしたら新しい恋人との間も冷めるだろうな。どちらが先に冷めるかわかんないけど。そしてまた、同じことを繰り返す。

だって、一生続く情熱なんてあるワケない。人は変わる。環境も変わる。しばらくすれば、お互いのバランスは必ず変わる。どこかで次の段階に移らなきゃ、長いこと関係を維持することはできない。

よくいるんだよ、子供生んだあとの妻に対して「どうもその気がおきない」っていう男。その、「気」という淡い心理の壁を乗り越える努力をしようとしない男。その結果としての自分の浮気を、渡辺淳一小説のような「恋愛至上主義」を盾に、正当化する男。

努力して、その壁さえ乗り越えれば、夫婦の間で別の絆ができるというのに。

子供を生んだあとの妻には、夫のように浮気する場も時間も与えられない。彼女にとって、夫以外の男でその満たされない性欲を処理することは、夫の浮気よりもはるかに難しい。彼女は24時間育児セックスレス結婚という牢獄に閉じ込められたまま、この先長い一生、このまんまになるのか・・・と真っ暗闇の中に放り出される。(たとえ浮気がバレなくても。)世の中的に、「男の性欲」が仕方ないものと見られる割に、「女の性欲」に対する理解はきわめて低いが、それがどんなに暗く醜いものか、考えてみてほしい。

妻のほうも、うじうじスネスネして「わかってほしい」とか思うだけじゃなく、「私にもセックスが必要だ」とはっきり言って、夫婦で話し合う勇気がいるだろうね。でなきゃ離婚して、努力のできる男とやり直したほうがいい。

一夫一婦の結婚制度がベストの解ではないかもしれないが、他の種々のやり方と比べてベターなんだよ。だから、やっぱりそれが主流なんだ。子供にとっても、お互いにとっても。結婚というコミットメントをお互いにしたんだから、約束を守るためにお互い努力しないといけないと思うよ。そのほうが、他のやり方よりベターなことが多いんだよ、いろんな意味で。

この増田氏が「修羅の道も芸のこやし」といった立場の人ならなんにも言わない。それでも、やはり私は増田氏の妻のほうに同情する。

2008-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20080818151304

> 渡辺淳一を回し読みして、失楽園映画を騒ぎながら一緒に観に行く

> 上司のオヤジ連中がいたら、どう思うよ?

これはキモいwwwwwww

anond:20080818031410

Sex and the City」が好きな女性は、より良いSex浮気への

強い潜在願望があるという話。

来週、職場に「SEX AND THE CITY(笑)OL」が大発生するよ

ある意味正しいと思う。

好きな映画小説には、願望が現われるもの。

憧れがあるけど諦めてるんだから、チャンスがあれば歯止めが利かない。

渡辺淳一を回し読みして、失楽園映画を騒ぎながら一緒に観に行く

上司のオヤジ連中がいたら、どう思うよ?

それでも映画好みと願望とは無関係って言えるのかな?

2008-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20080813171856

いや、それを慣らしていくのが一番愉しいのだけどね。

セックスするのを拒んでいた女の子が、昼間ワイン飲んだあとに「ねぇねぇ、したくないの?」とか言い出したときの愉悦ったらもう。

渡辺淳一世界ですな。

2007-07-03

北國新聞 2007年7月2日号より転載

北風抄 - ”文学賞批判”を批判する

 『文学賞メッタ斬り! 受賞作はありません編』(大森望豊崎由美著、パルコ出版)は、書名どおり芥川賞直木賞や主要文学賞選考のあり方を”メッタ斬り”する対談であり、ことに、選考委員のお歴々が実はまったく小説を読めていない、批評能力に乏しい─と軽い調子で鼻で笑って斬るところがミソであるようだ。

 そのあたりはまあ読み流すとしても、白山市制定の島清恋愛文学賞にまで鉾先が向けられるとなると、ちょっと黙過しにくくなる。

 「島田清次郎は二十歳のときに書いた『地上』という小説ベストセラーになったばかりに人生を誤ったんですね」との認識も粗雑に過ぎるが、「最後は早発性痴呆現在統合失調症)と診断されて精神病院に収容され、肺結核にかかって三十一歳で死んじゃった。こういう人を記念して恋愛文学賞を創設した白山市はたいへんな勇気があるなと思いました」との発言には大いにひっかかるものがある。

 この「たいへんな勇気」が肯定的な意味で使われているのではないことはもちろんだ。この筆法でゆけば、三島由紀夫賞も、”市ヶ谷自衛隊駐屯地突入日本刀で総監に斬りつけ、割腹して果てた人物を記念して文学賞を創設した”出版社はもっと「たいへんな勇気」があったことになる。

 『メッタ斬り』の対談者は石川県人が島田に寄せる微妙な心情に全く気付いていない。「島田清次郎の悲劇は何がしか石川県人の心を揺さぶるものを秘めている」(水洞幸夫氏)のであり、夢や理想や栄光を求めて東京へ出たものの、空しく挫折した無数の石川県人と島田が重なり、郷関に残った者ともどもシンパシーを呼び起こされるのかもしれない。私などは、この賞の創設を、痛ましい限りの生を余儀なくされた島田の鎮魂として意義深い、と勝手に解釈している。

 『メッタ斬り』の島清恋愛文学賞への批判はそれだけではない。批判の大半は、選考委員のひとりへのかなり激しい誹謗で占められている。名前を秘すのはかえって失礼だから挙げておくが渡辺淳一氏のこと。近代文学の名作をも”メッタ斬り”にした『百年の誤読』でも、豊崎氏は渡辺氏のベストセラー失楽園』をこっぴどくやっつけた。『メッタ斬り』では、同じくベストセラーになった『愛の流刑地』に罵詈讒謗の集中砲火を浴びせている。

 豊崎氏らが『愛の流刑地』を読めないのは勝手だが、だからといって渡辺氏の選考委員としての資質まであげつらうのは行き過ぎも甚だしいと言うべきではないか。失礼千万ではないか。私個人としては、第九回の岩井志麻子氏(『自由戀愛』)、第十回の谷村志穂氏(『海猫』)の受賞など、わが意を得たりとひそかに喜んでいただけに、見当違いの選考委員攻撃には不快を禁じえない。

 『メッタ斬り』が巻末で小説群を百点満点で点数評価しているのも賛成できない。文学作品はこんな評価方法にはなじまないはずだ。文学批評なるものは、褒めようと貶そうと、読者にひとつ読んでみようと思わせるのが”芸”であり、点数評価では”芸”も何もあったものではない。『メッタ斬り』が全編真摯な態度に欠け、先に述べたように当世流行の軽い”ノリ”で批評して見せるのも不快。蟷螂の斧に過ぎない地方からの発言だが、とにかく書いておきたい。

────青山克彌(泉鏡花記念館館長)

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