はてなキーワード: 戯画とは
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080311_recycle_or_gotohell/
ちょっと真に受けよう。
を戯画時はあげているが。ふむふむ。
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601102&sid=aizloDFbRPRM
などを読むと
などとある。遺伝子改造はだめだろう。人体実験というか再生医療がだめみたい。人間の体を化学的に変化させるのがだめなのかな。環境汚染はだめ。あとドラッグもだめだってはっきり書いてある(ドラッグと薬とどう違うのか書いてないけど…かわいそうに、僕の友人は精神的な病で俗にいうドラッグを処方してもらっているけれど…)。
お金を追い求めることはだめだって書いてあって、貧困を作ること(戯画時の書き方だと、貧困でいることがだめのようにも見えて、それが変だと思ってこれを書いてる)もだめだって書いてある。でもなぁ、貧富の差を広げるようなこともだめだって?なんか 4, 5, 6 の云ってることが同じように見えるのだけど…社会的不公正ってのは、以下ページに出てくるね…
http://daveandthomas.blogspot.com/2008/03/new-seven-deadly-sins.html
http://newsfromrussia.com/world/europe/104451-0/
pollution, genetic engineering, obscene riches, addiction to drugs, abortion, pedophilia and social injustice.
http://d.hatena.ne.jp/dangerous1192/20071210/p1
酔拳の王 だんげの方さんの
エロマンガフユ10に応募します。
数年たっても面白く実用性が高い、古典となりうるようなものを選びました。
●うたたねひろゆき「COUNT DOWN」1992年5月発行 普通にエロス(富士美出版)
繊細な線で激しい動き表現し、鉛筆画でも鑑賞に堪えうる絵を描く作者。
10年以上前の作品だが、今でも十分に実用性に耐えうる。
最近は一般誌で活躍しており、げんしけん付録同人誌も描いていた。
●毛野楊太郎「正しい課外授業」1999年09月発行 調教(コスミックインターナショナル)
もともと矢野健太郎の漫画が好きだったので、この作品をはじめて見たときは衝撃でした。
両者は師弟関係にある別人だと長年思ってたのですが、同一人物らしいと知ったのは、ついさっき。
道を踏み外した一冊です。
調教ものですが、暗く痛く、結末も救いようがありません。
しかし、絵が好きなので買いました。
シリーズ物で「楽しい課外授業」「恥しい課外授業」「激しい課外授業」「アブナイ課外授業」「淫らな課外授業」と続きます。
●あーる・こが「つるつる」2000年12月発 ロリ(富士美出版)
なにが衝撃的だったかというと、この題名です。
一年後には「すべすべ」が出ました。
●きのした黎「平成にんふらばぁ弐」2001年5月発行 ロリ(桜桃書房)
作画表現が何度か変わっていますが、2000年前後が一番好きです。
他作品「Eden's Summer」「秘育幻想録」「妹館」もお勧めです。
●影乃いりす「まなざし」2003年1月発行 ロリ(フランス書院)
この本の中の学園乱交物が好き。
●どざむら「MARKING ALGOLAGNIA」2003年02月発行 ロリ(晋遊舎)
●ひぢりれい「UK(UNMORAL KIDs)」2003年10月発行 ロリ(茜新社)
線の細い少女が自分からやるというのが、良いです。
先日もたまごまごさんが絶賛してました。
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20071209/1197101486
ヒヂリレイ☆DECOッパチ
●まぐろ帝國「放課後奴隷倶楽部」2005年02月発行 調教(茜新社)
おっぱい・筋肉ムキムキ女性をギャグ漫画で描くのが好きな作者。
編集部に、売れる本を描け、と言われてと描いた、学園調教物。
底にはギャグっぽい雰囲気が漂う。
●倶梨伽羅「淫縛女教師M」2005年07月発行 調教(富士美出版)
おっぱい、おっぱい、のムチムチ女性を描くのがうまい作者です。
元気でムチムチな女性を明るく、痛み表現もなく、喜ばせながら調教します。
唄飛鳥という名前を使うこともあります。
ロリと調教がほとんどになりました。
他にも色々ありますが、メジャーであったり、新しい作品なので他の人が紹介してくれるでしょう。
おがわ甘藍、板場広し、ほかまみつり、甘詰留太、水無月十三、さきうらら(痴女が恋しちゃダメですか)、さだこーじ、たまちゆき、春籠漸
マーシーラビット(InVision(淫Vision))、西安(制服戯画)、ここのき奈緒(Virgin)
MON-MON(愛奴真奈美、露出妻麗子)、草津てるにょ(よがり妻)
「あーる・こが」の「ー」は、本当は「から」なのですが、増田では表示されないので、このようになってます。
だんげの方さん、よろしくお願いします。
集計用一覧
うたたねひろゆき,COUNT DOWN,普通にエロス,富士美出版
毛野楊太郎,正しい課外授業,調教,コスミックインターナショナル
どざむら,MARKING ALGOLAGNIA,ロリ,晋遊舎
桐乃梵人,痙攣隷嬢,調教,オークス
この二種の区別には同意だが、はたしてモテの側の分割統治といえるのかどうか。
既存の「恋愛」言説のなかでの弱者という意味で両者はともに非モテであり、弱者であるが、これは支配的言説と比べての話であり、この結合はいまの民主党とどっこいどっこいの便宜的なものにすぎないと思う。支配的言説の存在が両者を同等視させているだけである。
ここでは仮に恋愛「からの」自由をもとめるものを「非恋愛主義者」、恋愛「への」自由をもとめるものを「反恋愛主義者」と呼ぼう。
非恋愛主義者は恋愛主義そのものを馬鹿にし、支配の存在そのものを戯画化しようともとめる。それは恋愛そのものへの軽蔑と、非恋愛領域の擁護(てっとりばやくいうとオタク趣味の公然化)、さらには非モテのネタ化や独身貴族への賛美として表れてくる。彼らは恋愛が人生にとって最も重大なものであるというテーゼを否定し、それ以外の生き方があることを示している。
一方、反恋愛主義者が求めるのは、自分が認められるような「よりよい」恋愛言説であって、けして恋愛主義が廃棄されることなどではない。たとえば「いい人が評価されない」とか、「こういうタイプがモテるべき」とか、「自分が差別されている」といった発言が意味するのは、恋愛主義の「純化」がなされ、適正化すべきだという意見であって、けっして恋愛主義そのものの否定にはなっていない。むしろこうした発言は、恋愛そのものへの信仰が一般人以上に強固なことを示している。
恋愛言説による格差付けそのものからの自由をもとめる非恋愛主義者にたいして、反恋愛主義者たちの求めるのは自分が恋愛言説のなかで適切な位置を得ることだ。しかし、それはかなわぬためにルサンチルマンは怨嗟の声として表れる。
こうした分裂は共通の敵があったからこそ見過ごされてきたに過ぎない。はてな村が非モテ言説に支配された今、モテ言説という共通敵を失った両者は分裂していくに違いない。具体的には、自分の趣味や生き方を恋愛以外の代替肢として提示するものと、恋愛に対する恨みつらみを共有することを望むものとにである。前者は後者のこだわりを理解できず、それゆえに後者は前者が同じ「非モテ」であることを疑い、空気を読むことを強要しだすのである。
この抗争は革命後のセクト争いに似ているが、セクト争いでは常に急進的な側が勝利していた。はてな村非モテ革命の結果はどうだろう。