はてなキーワード: 人権屋とは
そりゃそうだろう
でもだ、当たりの場合かなりのホームランなわけ(こういう表現良いのかな)
結局、容姿の良い悪いは個人の趣味だし、日本人的幼い顔立ちの女性が俺は好きだけど
目鼻立ちのはっきりした顔も良いと思う人は多いだろう。
ここから本題なんだけど
偏見と批判はまだ良いんだけど、問題は擁護が本当に少ない
大阪人は??
と悪い事かかれてもスルーされる。
いろいろブログやそのはてブで激論がありますけど、そのときかならず左翼様は助けてくれます
スルーどころか、一緒に叩いてるんじゃねーの?って思う時があります。IDまで追ってないので想像ですけど
正確にいうと、テレビで取りあげてもクレームが来ないんだろうなと予想できる
テレビで他の地域とか在日をネタにしたら、クレームとか脅し電話があるんだろう。
これは韓国とか中国とか黒人を腫れ物扱い、アメリカやアメリカの白人は平気でネタにしている事も同じ事を思った。
最後に言いたい
なんつーか、余裕が感じられるよね。
なんだろう
いや、2chでも大阪の人と思われる人物が、コピペとかで東京を馬鹿にしてたりするけど
公に問題化しないのは、大阪人がネタとして処理してるからなんだろう。
アメリカ白人も、たまにアニメでアメリカを馬鹿にしたような部分をやっても
とか書いてるのをよく見るんだよね。
陽気な気質が関係しているのか
どっちにしろ、すごいと思いますよ。ええ。
なに書いてるか分からなくなったのでこれで終わり
性病との絡みで売春施設の合法化が論じられる場合、姫への検査の義務付けまでセットだと思うのだが。
検査を法律で義務付けたい>前提としてその存在を認める必要がある>だからこその合法化、という論理。
合法化して、例えば免許制とかにしてしまえば検査は強制できる。勿論「個人経営」とか違法な売春婦は出るだろうが、そういうところに行く人は放置。飲食物取り扱い免許を持っていない店で飲み食いして食中毒になるのと同じで自己責任、という事になる((まあ、無免許の飲食店で飲み食いする事は犯罪にはならないと思うがw))。
客の方の検査義務付けは人権屋が騒ぎそうだけど、認められるのではないかと思う。姫の方の人権を尊重するなら認めざるを得ないしな。あるいは、客に検査を義務付けても良い(店側の権利)という形になり、検査を義務付ける会員制の店と、そうでない(恐らく安価な)店とで住み分けが進む可能性もある。勿論全店に義務付けたいところだが、画一的に客への検査を義務付けると、検査義務違反が常態化して結局同じ事になってしまいそう。
と26の若造が20分で考えてみた。
ちなみにホモセクシャルが熱心にHIV検査に通うのは、ヘテロセクシャルに比べると相手を選ばない(貞操観念が薄い)人が多いからリスクが高いため((一応予防線張っておくと、統計的にそういう傾向があるってだけで、ヘテロでも尻軽はいるし貞淑なホモだっているだろう))。あと、性行為1回辺りの感染率は、男女同士の性行為よりも、男同士での性行為の方が高い、と聞いた(ソース失念)。
別に当たるか外れるかはどっちでもいいんだよね。
あと自然災害の予言・預言も一般人にはどうしようもないことだからどうでもいい。まあ政治家は起こることを想定して事前準備をして被害を最小限に食い止めるつもりでいることが必要だろう。それは予言・預言の有無に依らない。
大切なのは、今のままの浪費と大量生産・大量廃棄を(あと過剰な人権屋・権利要求屋・動物権屋の活動も)続けていると、いつだとは言わないがいつか破綻して、滅亡とは言わずとも大被害を被ることになる、ということだ。これは間違い様のない真実だ。正しいか誤っているか分からないことの結末を予言・預言で知らせて貰えるのならありがたいが、予言・預言ってのはいつも決まって、冷静に論理的に考えれば誤りだと分かるが、見て見ぬ振りをしていることに対する「警告」だ。それ以上でもそれ以下でもない。
予言・預言は自分達の行為の愚かさの再認識の為にあると思うべきだ。「どうせ外れるから何をしても/しなくてもいい」訳でもないし「どうせ死ぬから何をしても/しなくてもいい」訳でもない。
今俺が言っているようなことを過去あらゆる予言・預言者や教祖となった人間が、あの手この手を使って、語弊が有るかもしれないが「神」だとか「地獄」だとか「悪魔」だとか言う言葉まで使って騙すようにして、言い聞かせて来ただけだ。それが宗教であり、本来は道徳的倫理的(定義は曖昧)な生き方をして欲しいと望む人間が作り上げた、見本的生き方(主に争いを避ける為のルール)に過ぎない。それを解釈改憲的に現代の宗教家共が自分達の私利私欲・憎しみに任せて都合のいいように行った解釈を説いてそそのかしているから宗教戦争になる…ってのも既に日蓮とかが言ってたりしたよな(「自分が正しい」と言ったのはやりすぎ)。
予言・預言によって提示された未来を回避したいのであれば、各人がそれぞれ行動しよう。自分の行動を改めよう。宗教を信じる必要は無い。そんなことをしなくても優秀な人間ならば理解出来るだろう。
ちなみに予言・預言によって大災害や戦争によって社会機能の崩壊した世界を提示されたとして、自分は生き残る側になりたいと思うだろうか?おそらく死にたくはないだろうが、生きていたいというのも、今の、この、日常的にありふれた平和と豊穣がある世界での話だろう。崩壊して力がある者のみ生存を許される世界で生きていきたいだろうか。
予言・預言によって提示された「事件」から、自分だけを避けようとするんじゃない。この世界を維持する為に、「事件」そのものを避けるように行動するべきだ。