2007-07-18

予言・預言の件

別に当たるか外れるかはどっちでもいいんだよね。

あと自然災害予言・預言も一般人にはどうしようもないことだからどうでもいい。まあ政治家は起こることを想定して事前準備をして被害を最小限に食い止めるつもりでいることが必要だろう。それは予言・預言の有無に依らない。

大切なのは、今のままの浪費と大量生産・大量廃棄を(あと過剰な人権屋・権利要求屋・動物権屋の活動も)続けていると、いつだとは言わないがいつか破綻して、滅亡とは言わずとも大被害を被ることになる、ということだ。これは間違い様のない真実だ。正しいか誤っているか分からないことの結末を予言・預言で知らせて貰えるのならありがたいが、予言・預言ってのはいつも決まって、冷静に論理的に考えれば誤りだと分かるが、見て見ぬ振りをしていることに対する「警告」だ。それ以上でもそれ以下でもない。

予言・預言は自分達の行為の愚かさの再認識の為にあると思うべきだ。「どうせ外れるから何をしても/しなくてもいい」訳でもないし「どうせ死ぬから何をしても/しなくてもいい」訳でもない。

今俺が言っているようなことを過去あらゆる予言預言者教祖となった人間が、あの手この手を使って、語弊が有るかもしれないが「神」だとか「地獄」だとか「悪魔」だとか言う言葉まで使って騙すようにして、言い聞かせて来ただけだ。それが宗教であり、本来は道徳倫理的(定義は曖昧)な生き方をして欲しいと望む人間が作り上げた、見本的生き方(主に争いを避ける為のルール)に過ぎない。それを解釈改憲的に現代の宗教家共が自分達の私利私欲・憎しみに任せて都合のいいように行った解釈を説いてそそのかしているから宗教戦争になる…ってのも既に日蓮とかが言ってたりしたよな(「自分が正しい」と言ったのはやりすぎ)。

予言・預言によって提示された未来を回避したいのであれば、各人がそれぞれ行動しよう。自分の行動を改めよう。宗教を信じる必要は無い。そんなことをしなくても優秀な人間ならば理解出来るだろう。

ちなみに予言・預言によって大災害戦争によって社会機能の崩壊した世界を提示されたとして、自分は生き残る側になりたいと思うだろうか?おそらく死にたくはないだろうが、生きていたいというのも、今の、この、日常的にありふれた平和と豊穣がある世界での話だろう。崩壊して力がある者のみ生存を許される世界で生きていきたいだろうか。

予言・預言によって提示された「事件」から、自分だけを避けようとするんじゃない。この世界を維持する為に、「事件」そのものを避けるように行動するべきだ。

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