はてなキーワード: ゲームクリエイターとは
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阿迦手観屋夢之助 (あかでみや ゆめのすけ)は、日本のゲームクリエイター。カルチャーブレーンのプロデューサーである。現在、公式には本名などを明かしていないが、カルチャーブレーンの代表取締役である田中幸男と同一人物である。(過去にゲーム誌等で「田中幸男」として取材記事が掲載されたことがある)
ゲームソフト「シェラザード」、「ベースボールシミュレータ」はアメリカ『ゲームプレイヤーズガイド』『EMG』にて1989年、1990年に国際賞(を自称しているが、単なるアメリカの一雑誌の賞に過ぎない)を受賞したが、それ以後目立ったヒット作はない。2008年度新卒採用にも自称国際賞受賞歴を掲げるほどの名誉だったらしい。
ゲーム以外にも映像・TVCMプランナー・雑誌編集長・広告アートディレクター・イベントプロデューサー・インテリアデザイナーとして国際的に活躍する「マルチクリエーターのパイオニア」を自称するが、ゲーム以外では具体的にどういったプロジェクトに携わったのかは一切不明。かつては同社が運営していた専門学校であるカルチャーブレーン専門学院にて教鞭をふるっていたこともあった。
近年ではゲームボーイアドバンスでの開発に専念していたが、おしゃれに恋してでニンテンドーDSに参入した。作品としては大手ソフトハウスのオマージュ作品が中心となっている。開発費の高騰が続くゲーム業界において中小ソフトハウスが生き残る術を提示しているとも言える。
また麻雀に造詣が深く、プロ麻雀「兵」シリーズはかつてはマルチハードで展開していたほか、近年ではアカギのゲーム版も制作している。
なお、氏やカルチャーブレーンにとって不利になることをネット上に記載すると、おおよそ会社代表の名義で送ってくるとは思えないような文体で削除を求められるため、注意が必要である。
http://ns.jarnal.jp/net/net_005.html
平たく要約すると、「恋愛や癒し」をテーマに「写真や詩」を日記調に綴ることで女たちの心を捉えてしまう。「恋愛や癒し」をテーマにした「写真や詩」は女たちの警戒心を薄らがせるので、Hに持ち込める。
なんか、ふと見たら、MIXIの広告にも「未経験でもなれるクリエイター」なんて広告が掲載されているではないか。
女って本当にアートとかクリエイターに弱いんだな。プロのカメラマンの前では恥じらいもなく裸になるし、ミュージシャンだったら股を開くんだろ?
それが自分を磨いてくれる、別世界に連れて行ってくれるって思うのは、まあ、シンデレラコンプレックスは今に始まった話ではない。
俺がここ1年以内に読んだもっともくだらない小説にこんなのがある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062758431
天才ゲームクリエイターは、絵に描いたようなクールなクリエイター像で、超金持ちで金に執着がない。芸術のために必要だと口説いて美少女を好き放題着せ替え&露出プレー。他にも恋人がいるけど、どっちも感度良すぎでイカセまくり。才能だけで女や人の無条件な尊敬と金を集めている。
すげー単純にマーケティングしまくったストーリーだ。コアな部分はゴルゴ13と同じ。組織に属さず、個人の才能だけで金も女も自由自在。
なんだかんだ言って、企業はまだまだ男社会だし、組織では個は見え難い。女にとって才能一つで自由自在に生きていく存在というのは憧れであることには違いない。
そこで「アート」だ、アートは明確な評価基準がないというのも彼女らの気持ちにマッチするんだろう。とかく女は評価・比較されることを忌み嫌うじゃん。男が元彼と比較されたりしたら、元彼に嫉妬するとか、ライバル心で超えてやろうとか、矛先は元彼に向かうんだけど、女が元カノと比較されると、比較した男に嫌悪感を持つ。
だからかな、カラーコーディネーターとかインテリアコーディネーターとかそういう職種に対する憧れの話は女どもからよく聞くんだけど、その仕事、給料安いよとかアドバイスしてもあまりピンとこないらしい。
おっと、話がずれた。
俺の仕事も相当にクリエイティブだし、相応の才能をつぎ込んでやっていると自負しているんだが、なにせアウトプットが「恋愛」でも「癒し」でも「アート」でもない。まして完全な組織プレーだしね。
「アート」のほかに女が自分に奉仕してくれるものと思っているのは「金」かな。青年実業家なんてのは、ちょっと落ち目だし、今なら青年投資家が旬なのではないかな。しかし、そっちの仕事は女なんぞにかまけている暇ありませんから。
女とHしようと思ったら、やっぱ個人営業のクリエイターが最強なわけか。さて、どうしよう。。。
>>従来のただの石とは違いますね
もう5万回も突っ込みが入ってると思うので直接これについては何も言うまい。
ゲーム業界もその影響を受ける。特にそれが続編だったりすればなおさらだ。
マンネリズムに取り込まれたゲームは「クソゲー」の烙印を押されてしまう。
それを回避するために、ゲームクリエイターたちは必死に新要素を考える。
毎回のようにあっと驚くシステムを導入し、ファンを熱狂させてきたからだ。
スクウェアはFF8で300万本を売り上げ、ゲーム業界の王者として君臨した。
しかし
映画にも手を伸ばし、それが大コケ。それと並行してFFシリーズの売り上げも下がっていく。
飽きられつつあるのは明らかだった。
そこで冒頭の発言である。
「僕がゲームを選ぶ時は、作ってる会社とか作っている人とかで選んじゃうんですよね。たぶんそういうのはマニアックなんでしょうけど。
もちろんそのゲームが面白いのに越したことは無いんだけど、例えつまらなくてもそれを"作品"として見てしまっている所があるから、なんか許せちゃうんですよ。」
というような話をしたら、
って言われて。
ああ、確かにそうだ。音楽でも好きなアーティストだって言ってCD買ったりしてるし、映画でも監督とかスタジオとか役者とかで選ぶことが多いし、漫画でも漫画家だったり連載雑誌だったりで選ぶよなあって。小説なんてモロそうだ。
じゃあなんでゲームでそれをやっちゃうとマニアックなんだろうか。それはたぶん、一般の人からするとゲームがメディアではなく製品だからなんだろう。
鉛筆を買うときに、トンボか三菱鉛筆かぺんてるかなんて気にしない。そういうのに近いんだろうな。
でも僕なんかはどっかの誰かの影響で「ゲームはメディアになり得る」とか思っちゃっている人なので、やっぱりそこでマニアックな方に行ってしまうのかな。あとは、ゲームクリエイターと呼ばれる人達が中途半端に露出していて、作っている人の姿がチラチラ見えてしまうのも原因の一つかもしれない。
まあそんなゲームの選び方をする僕だけど、逆にゲームの選び方で許せないのがあって、「○○の続編だから」とか「○○のキャラクターが使われているから」というやつ。なんか動機として不純な感じがする。ゲームとしていくらつまらなくても、それなりのセールスになってしまうのが許せない。そしてその影で本当に面白いゲーム、面白いからみんなにも遊んで欲しいと思えるゲームがあんまり売れてないのを見ると、ちょっとせつなくなる。
あー、取り留めの無い日記だなあ。