2024-09-05

四十二客酔至理

昔,ある邑あり。その民は皆逸楽を好み,無事を営まず。

邑の中の人々,昼夜市に集まりて談義をなせども,語るところは酒肴舞楽に偏り,世事を論ずることなし。

或る日,張甲という者,邑の中央に立ちて大言せり。

天地の理,何ぞこれを求むるに及ばん。酒を傾け,快楽に浸るこそ至道なりと。

衆人これを褒め讃えて手を鳴らし,皆曰く,

まことに尤もなり。

かくて皆還りて臥し,何事をもなさざりけり。

また李乙という士あり。座に安んじて衆を招き,曰く,

人生は短し深慮遠謀に耽るは愚かの極みなり。ただ今日を歓び,明日もまた楽しむべしと。

往来の者どもその詞を称え合い,共に杯を交わす。されども彼らが交わす言の葉は常に空しく,実を伴うことなかりけり。

或る時,外つ国より一客ありて邑に至る。邑の様を巡りて窺い,何事か深遠なる理を見出さんと欲す。

客,心中に思えらく,

この邑,何ぞ遊興にのみ耽り,理を尋ね求めざるか。

遂に幾人かに問えども,皆笑みて答え曰く,

我らは杯と歌とをもってすでに人生の極みを知れり。さらに何を求むる必要があらんやと。

客,内に憤怒を抱き速やかに去らんとす。されど去る途上にて忽ち足を滑らせて倒れ,酒甕に頭を打ち,遂に地に臥す。

邑の民之を見て皆哄笑し,之を助く者あらずや。

客,地に伏したまま呻きて曰く,

この如き浅慮の邑に,いかにして理を求めんや。

そのまま起き上がることなく,酔いに沈み,終に寝入りけり。

人々客を見て曰く,

哀れなるかな,この者は杯の歓びをすら知らざる愚者なりと。

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