いわゆる「表現規制」が、ある程度の人数が共感できる表現を規制してしまったせいで、ごく一部の人間しか共感できない表現が代わりに表出してきてしまったという一面があると思う。
(そういう極論は限られた人々にしか展開されず、「表現規制」の手が及ぶことはなかった。
「表現規制」された普通の表現を捨てた人々は、新たな表現を求めるために、そういう極論まで「発見」することになってしまった。)
つまり、左右を問わず、極論的な表現の台頭は「表現規制」から導かれる自然な帰結なんだと思うのだ。
そういう点では、「表現規制」は表現の平等化を成し得たのかもしれない。
マスな表現を規制することで極論への移行を促したという点では、ポストトゥルースの時代に貢献した立役者とも言えるだろう。
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