○すのです。
迷ったきみは某天狗に「判断が遅い」とビンタされること請け合い。
仏に会ったら仏を○せ。
形式的なことや形状に真は宿らぬ、という意味らしいが物事の流動性の高さを見るにその通りかと思う。
信じられないことだが「普通」が罵倒にも似た言葉として、決していい意味では使われてなかった時代もあったり。
今ではその逆だが、これもこの先どうなるかわからんね。
いちいち勝ち馬に乗ろう、風見鶏になろうってのは上の仏○しの真逆で、毎度新しい偶像を崇めてるに過ぎぬ。
そんな事してたら目的を見失う。
本当のお前はどこにいて何をしたいのか?
だから仏に会ったら仏を○せ、という事なんだろう。
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