2021-10-27

anond:20211027121517

意図明確化、という意味ではユーザーに優しい、つまり作り手の意図を明確に読み取れて、勘違いする余地がない、とも言えるわけだから、アリはアリだと想う。

「いや、それは違うんじゃないか自分意見制作者と違う、同じものにも違う側面がある」と捉える受け手がいることは当然であり健全なので、それを作品の中に回収するかどうかの違いなんじゃないかな。

記事への反応 -
  • ザ・ノンフィクションの実況なんか見てると全然感じ方が違うよ 批判的なメディアのコメント欄でも攻撃的でなく受け身になったり自分の身に置き換えて考えたりするし 海外式のは往々...

    • 仮にドキュメンタリー作品に対する文化差、みたいなものがあるとするなら、文化圏による受け取り方・受け取られ方の違いがあるのかも。 たとえば欧米は自分の立場で、自分のオピニ...

      • そこまで言っといて知らんけど。は無いだろ けどドキュメンタリーだけじゃなくホームドラマでもココで笑え!って時亜空間から笑い声のSE出たり欧米は感受性の多様性よりも見方を限...

        • いや、すまんけど知らんのよ。ドキュメンタリーに興味がないから、基本的に。ただ職業柄、あらゆるクリエイティブには意図がある前提で見てるので、ドキュメンタリーにも常に意図...

          • なるほど 確かに意図は存在するだろうね ただ日本式だと仮に意図しない方向に転んだとしてもそっちに修正して作品を出すというのは有り得そうだが 海外式だと本筋から逸れるのは断...

            • 意図の明確化、という意味ではユーザーに優しい、つまり作り手の意図を明確に読み取れて、勘違いする余地がない、とも言えるわけだから、アリはアリだと想う。 「いや、それは違う...

              • ただそれを「対象物に直接関与して無理やりそういう方向に持っていく」というのがどうかと思うんだよね 君がいう理論はドキュメンタリーに限らず正しいんだけど ドキュメンタリーで...

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