人間の個性なんてよっぽど特別な人間でない限りは「らしさ」ありきだよ。
基準点があって、そこに合わせたり、外したり、超えたりした部分が個性と認識されている。
増田だって『らしさに縛られない自分』みたいな自己像にアイデンティティを感じたりしたことがあるんじゃないか?
それは「らしさ」という概念があるからこそ生まれた自己像だ。
俺も「男女らしさ」に縛られなきゃいけない世の中は嫌だけど、「男女らしさ」がなくなった世の中よりも、「男女らしさ」に対して合致していても外れていてもそれを個性と認めてもらえるような世の中の方が素敵だと思うね。
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