アメリカの黒人差別に反対するならインドの不可触民差別にも反対しろ
インドの不可触民差別に反対するならギリシャのトルコ人差別にも反対しろ
「Aに反対するならBにも反対しろ」論法は際限がないからもうやめよう。
そうやって他の問題を持ち出して個別の問題に声を上げるのを遮ろうとするのは卑怯だ。
自分にとって身近な事柄、関心のある事柄から声をあげればいいだろう。
全部一斉に声をあげることは無理なんだから。
そしてこの手の連中は自らの差別を指摘されるとすぐにウイグルを持ち出す。
他の差別よりウイグルに関心があるなら自らがウイグル人差別に反対する運動をすればいいだろう。
しかし、彼らはそれをしない。
ウイグル人差別を他の差別に声を上げようとするのを遮ろうとする道具としてしか見ていないからだ。
たまにこういうまっとうな発言があるからここは信用できる。
個々が個々の興味や利害や党派性に従って声を上げ、結果どこかの誰かが取り残される それこそを差別とは言わないのですか
言わないよ 差別の意味を辞書で調べな