夜中に寝られず、またむくむくと自分の中で自分へのヘイトがおこってきたので、とにかく何かから逃げるようなつもりで風呂に入った。(本当は面倒だったので風呂は明日にするつもりだった)
ちょうどいい温度にあたためられた湯船に浸かると、不思議と考え事が湯に溶けていったように思えた。
何もかもから逃れたいがために入った風呂だが、「自分は今清潔である」という気持ちでいることは文字通り精神衛生上にもよいみたいで、多少なりとも自分がまともな人間になれたのだという自信をわたしに与えてくれた。
やっぱりミサトさんの言うとおり風呂は命の洗濯である。
Permalink | 記事への反応(1) | 03:31
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マズローの三角形を整えない奴は一生地をなんたらかんたら