人工肛門にするくらいなら死んだ方がマシという人を渡哲也さんも人工肛門だと言うと受け入れた話を渡哲也さんが死んだ事からちょいと目にしたんだけど。
パッと聞いた時の感情だと判るんだけど、冷静になってみると人体の一部を機械に置き換えるのは義手や義足と一緒な訳でこの辺で拒否という話はあまり聞かない(現実には多いの?)のだけど何が違うのかと言うとうーん?良くわからん。
自分の場合でも事故等で義手や義足を使わざるを得なくなったら使うのは素直に受け入れられそうなんだけど、人工肛門だとなんか人の尊厳に触れる気がするが、この辺の違いを上手く言語化できないなあ。だれかして。
Permalink | 記事への反応(0) | 11:26
ツイートシェア