2020-02-16

理由を聞いているだけなのになぜ萎縮するのか分からない」という人は

褒められる時は理由を聞かれず、叱られる時にだけ理由を聞かれるという「子ども時代あるある」を経験していない人である

「どうしてお花の世話をしたの!」とは聞かれないが、「どうしてお花を抜いたの!」とは聞かれる。

その普遍的経験則を知らない人である

 

なぜこのあるある経験せずに育つことができたのか。

やることなすこと親から等しく理由を聞かれたのだろうか?さすがにそれは考えにくい。

おそらく叱られる時に理由を聞かれなかったのだろう。つまり、頭ごなしに叱られた。

「どうしてこんなことしたの!」という一応の弁解のチャンスすら与えられず、

有無を言わさず拳もしくは言葉ゲンコツされてきた人。

それが「理由を聞いているだけなのになぜ萎縮するのか分からない」人だ。

 

人生の中で褒められる時も叱られる時も理由を聞かれなかったので、

彼もしくは彼女にとって理由を聞く行為は、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

そう考えると、あんなに憎たらしかった人が、何となくかわいそうに感じないだろうか。

  • かわいそうか? 幼児教育レベルでは四の五の言わずにコツンが正解ってことにならないか、その流れだと

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん