今日は8時15分、遅くとも20分にはうんちする予定。誰一人僕のうんちに手を出せない。
排便のために誂えた要塞の中で生命の痕跡は生み落とされる。立ち上る生命の狼煙、それは明日のうんちを呼び覚ます照明弾なのだ。
女たちはうんちの仕上がりばかりを気にしている。照りが出れば喜び、五穀米が未消化なら肩を落とし、何事もなかったかのようにざぶざぶと水に流して立ち上がる。目を伏せて換気扇のスイッチに手を伸ばす仕草はまるで不貞を恥じるかのようだ。なんたることだ。ああなんたることだ!
私は本日8時20分までにうんちをする。たった今、我が忠実なる大腸が水を吸っているだろう。うんちの水は腎臓へと運ばれ、やがて尿道から再帰的に放たれ、うんちに静けく寄り添うだろう。大腸1500mm、その長さのすべては8時20分のために。そのとき私はうんちのすべてを感じることになる。俗世を離れ、うんちの菩提を得るだろう。その覚悟すら私にはある。