「誰が」判断するか、じゃない。威圧的だと判断する人がいなくなる、あるいは無視できるまで少なくなるなら、入れ墨に対する拒否反応自体が存在していないはず。結局拒否反応があるってことは、そこに威圧を感じる人が少なくないってこと。
「誰が」判断するか、じゃない。
威圧的だと判断する人がいなくなる、あるいは無視できるまで少なくなるなら、入れ墨に対する拒否反応自体が存在していないはず。
結局拒否反応があるってことは、そこに威圧を感じる人が少なくないってこと。
「ノイジーマイノリティ」って言葉ご存じ?
その「拒否反応」が少数派じゃないとどう実証する?
あと、その理屈でいうと「LGBTに嫌悪を感じる人が多いから認められなくて当然」というロジックもまた許容するけど大丈夫?
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