キモくて金のないオッサンを祀ったって何の意味もないんだけど、
さも重要であることが当然、みたいなその考え方はどこから来てるんだろう?
キモくて金のないオッサンを救うかどうか、っていう話なら分かるけど、「祀る」って書いてあるしなぁ。
結構な割合で「愚策を立案した人たちの責任逃れ」をしたい人たちなんだよね。
愚策を立ててしまったことは仕方ないけど、それが愚策だったってことは認めて対策を立てないと
国が良くならないのに、頑なに責任者の責任から話を逸らして「犠牲者を祀る」ことで逃げるんだよな。
犠牲者を尊ぶのは当たり前の話で、そこに文句はないけど、責任逃れの言い訳に死者を利用するなんて
恥ずかしくないのかね。
氷河期世代のキモくて金のないおっさんを実利的な政策によって救って欲しいということを訴えても 人々はそんなやつらを救うよりも他に救うべき人達がいるといった理屈や自己責任な...