2018-03-16

anond:20180316125741

大きな栗の実がなる木

「が」を挟むことで主体性が前段階にあることを示して区切ることができる

英語だとwho的な表現 英語の方がずっと構造は分かりやすくて単純

日本語が明文化ルールを作るのがたいへん・下手なのは表現の重ね合わせ状態が多すぎて

お前みたいに意識しないと読むだけで混乱しだすから

悪意を持って読めばいくらでも誤解できるので、そもそも議論に向いてなくて当たり前

記事への反応 -
  • 「高い」コスト「パフォーマンス」、じゃねえの。

    • なんて隣接したコストを飛び越えてパフォーマンスにかかるんだよ

      • 「大きな栗の木」はどう考えても「栗が大きい」じゃなくて「木が大きい」だろ。ろんぱっぱ。

        • 普通よりも大きい果実が実る木や品種なんてさほど珍しくないんだが お前が勝手に大きいのは木の方だと解釈してるだけだろ馬鹿 意味の揺らぎを防ぎたければ「栗のなる大きな木」にし...

          • じゃあ栗の実が大きいときはどうやって表現するの?

            • 大きな栗の実がなる木 「が」を挟むことで主体性が前段階にあることを示して区切ることができる 英語だとwho的な表現 英語の方がずっと構造は分かりやすくて単純

        • 大きな栗の木の下で 普通よりも大きな栗が出来る木の下かもしれねぇじゃん。 バカ?

        • 「栗が大きい」方がロマンがあると思います。  マロンだけに・・・

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん