2017-11-23

「救いようのない話」を楽しめたのは、まだ世界の端っこを見に行く途中だったからなんだなあと最近思ったりする。見たことがないものを見に行く途中だから、新しく見るものはなんでも珍しく思えるけれども、そうして歩いているうちに、実は「救いようのない話」なんてのはありふれたもの全然珍しくないんだってことに気づく。そうしてありふれた「救いようのない話」を飽きるほどに見たところで、もうここには目新しいものなんてなにもない、ここが世界の果てだと、そう思って私は帰ってきてしまったけれど、中には「救いの無さ」の果てにまだ何かあるのではないかとまだその先へ歩いていった人もいたのだろう。今となっては私はそんな人の姿を見ても「若いなあ」とつぶやくくらいしかできない。私の世界観は完成されてしまったのだ。

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