親の前で話してるからその事柄が間違いないとは言い切れない。
もしかしたら間違いであっても親は黙っているかもしれない。
つまり親が真実を知っているかのように見せている。
親の前で話している、
審判の前で話している、
真実味があると思い込ませるための話術に過ぎない。
おそらくこの手の話をするひとは詭弁が多いと思われる。
似たような事例としては、
「皆も言っていることだし間違いない」
「誰でもそうだよ」など。
皆や誰の場合不特定多数を指していたりして真実味が薄い、
具体的に誰が言っていたのと言われると言葉に窮する場合もある。
だが親という本人の家族が聞いているというのは前述より真実味が濃い。
より強調させた、発言と言える。
性質が悪いとも考えられるかもしれない。
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