端的に言って、家を買うのもマンションを買うのも、どちらも選ばないことで生まれた余力を何かに回すのも、すべては誰かへの贈り物なのだよ。
そのリスクの種類が何であれ、そのリスクの大きさがどれだけであれ何れにせよ、プレゼントを語る語彙でもって語られるべきなんだ。
崖の花を手折ることもあろう。半月を粗食で過ごすこともあろう。それがなんだというのだ。
ことがプレゼントなのであれば、問題は誰に、どんな気持ちで贈るか。それだけではないか。
株券に頬を染める姫君にはそれなりの、差し出すてのひらの温もりを待つあの子にはそれなりの、「自分へのご褒美」で心のバランスが保てるならそのように。