日本人の売春ツアー問題があった時には、我々は「日本人」という括りで語られる。
でも大抵そのおっさんたちとは顔を合わせたことも話したこともないはずだ。
身内から犯罪者が出たときは「犯罪者の親族」という括りで語られる。
でも犯罪を犯したのは身内であってその家族ではない。
親が創価学会員なら「創価学会の人」という括りで語られる(ことがある)。
でも当の本人はなんの関心もない。
家族や国籍や組織など、所属するコミュニティで語ることになんの意味があるのか、改めて考え直してほしい。
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