仰る通りなんだけど、因習みたいなものに縛られていないかと考える機会は常に持つべきだとも思う。
今まで合理的であったものを不合理と見做さなければならない理由を追及する権利は常に持つべきだし、
継続しているものを唾棄すべき特段の事情について模索することも必要で、
それが「差別問題と向き合う」ってことじゃないのかな。
Permalink | 記事への反応(1) | 17:35
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差別問題と向き合うのは結構だが、「女性差別いくない」という結論ありきのスタンスこそが、女性学とやらを学問の体裁を取らせてないんじゃないかな。