いつもの景色がいつもの景色に見えない。すべてが滲んでいる。こんなに曖昧な景色が存在してよいのか不安になる。けれども矯正されているのは普段の景色であって、今見えている景色が本当の景色であるはずだ。
だいたいは分かる。そしてだいたいは分からない。枕のようなものが道端に置いてある。それはねこだった。
すこし歩くうちに、許されたような気持ちになってきた。本当はこのくらい見えてなくてよい。無理をして見る必要はない。
人の機能として、近視という状態があるのかも知れない。周りが気になってしまう自分をかばうための機能として。
見える範囲はひとそれぞれ。
僕はこのくらいで充分だ。
Permalink | 記事への反応(2) | 03:14
ツイートシェア
http://anond.hatelabo.jp/20160610031403 この文字が見えてるかはわからないが、もし見えていたら聞いてくれ。 よく見えない状態で事故に遭ったら、加害者の方が可哀想なのでやめてほしい。 大...
自分の視力は0.1にも満たない。 なので眼鏡をかけなくては自分の家の一部屋ですら動けない。 自分にとって、これは無理な話だ。