ロゴデザインはある意味では論理以外に左右されない形而上の存在だ。
クライアントの要件を満たすこと、論理的に破綻がないことを突き詰めた時に
あそこまで完成度の高いロゴはほぼ存在しないんじゃないかとすら思える。
あれはまさに一人の人生のすべてをかけた仕事と言っても過言ではない。
歴代、未来のオリンピックロゴをすべて並べてもあと100年は見劣りしないのではなかろうか。
デザインの一つの到達点を作成者の汚点のみで廃棄してしまっていいのだろうか。
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