2015-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20150830233527

やればいいんだけど広く導入するには教えられる人がいない。教えられる人の育成過程を作るところから始めなくちゃならないんだけど、もともと同調圧力が強い社会コミュニケーション技術は「自然に覚えるもの」とされてきたし、今現在偉くなってる人は自力で身につけられた人ばかりという生存バイアスがあって彼らは導入の必要性を感じてない。

記事への反応 -
  • 学校から世の中に出て知らないでいて苦労することがあったりなかったりして、でも学校は何でもかんでも教える場ではない。 家庭科で料理洗濯裁縫はやるけれど、社交的にやってく方...

    • やればいいんだけど広く導入するには教えられる人がいない。教えられる人の育成過程を作るところから始めなくちゃならないんだけど、もともと同調圧力が強い社会でコミュニケーシ...

    • コミュ障=文化資本の豊富さ であって、小さい頃から習い事や海外旅行しまくってるような家ほど強くなる ペーパーテストよりもコミュ力というのは、学力より資金力ってことだ 欧...

    • 日本の学校教育でそんなの導入しても、音楽美術体育と同様に「基礎も教えず投げっぱなしにして、上手く出来た奴だけ高評価」みたいになるのが目に見えてるから意味ないよ。

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